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夢を追いつづけよう

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2014FIFAワールドカップ  日本代表対ギリシャ戦先発メンバー(テレビ画面を撮影)

夢を追いつづけよう

日本の決勝トーナメント進出の夢は、「自力」と「他力」と「運」頼みではあるがまだ残っている。
少しでも可能性・夢があることは、無いのとは天と地の差、幸せなことだ。

次戦は、25日午前5:00(日本時間);日本―コロンビア戦 ;ギリシャ-コートジボワール戦;同時キックオフ
(テレビ観戦者はチャンネルの切り替えに忙しい?)
次戦では、今日、日本が破れなかったギリシャの堅守と速攻に期待したい(他力本願( ^)o(^ ))。


2試合が終わった時点のグループCの勝敗表
コロンビアの決勝進出はすでに決まっている。

順位            勝点  勝  分   敗  得点  失点 得失差
 1 コロンビア       6   2   0   0    5    1   +4
 2 コートジボワール  3   1   0   1    3    3    0
 3 日 本         1   0   1   1    1    2   -1
 4 ギリシャ        1   0   1   1    0    3   -3


日本が決勝トーナメントに進出するための2つの必要条件
1 日本がコロンビアに勝ち、勝点4とすること
2 ギリシャがコートジボワールに勝つか引分けること


① ギリシャがコートジボワールに勝った場合
  コートジボワールは勝点は3で決勝トーナメント進出ならず
  ギリシャ勝点4で日本と得失点差の勝負 現在日本が2点上回り有利 総得点でも有利


② ギリシャとコートジボワールが引き分けた場合
  日本、コートジボワールが勝点4で並ぶ。ギリシャは勝点2で決勝トーナメント進出ならず
  コートジボワールの得失点差は0のまま

  ○日本が1点差の勝ちでは得失点差0で並び、総得点の勝負
    現在総得点は日本1、コートジボワール3でコートジボワール有利
    総得点でも並んだ場合は、直接対戦勝でコートジボワールが決勝トーナメント進出
  ○日本が2点差以上の勝ちでは得失点差+1で日本が決勝トーナメントへ


th[7]  サッカー日本代表エンブレム

要するに、ギリシャがコートジボワールに勝った方が、日本の決勝トーナメント進出の確率・可能性は高くなる。
運も実力のうち! 幸運を祈ろう!

八咫烏(やたがらす)さん! ご利益(ごりやく)よろしくお願いしますよ!

田中マルクス闘莉王

90246991[1]  超攻撃的リベロ

田中マルクス闘莉王

モンテディオ山形   闘莉王にオウンゴールを献上された
2003年J2モンテディオ山形―水戸ホーリーホック戦までさかのぼろう。
J2山形はイングランド、コートジボワールとともにトゥーリオ(闘莉王)にオウンゴールを献上された栄誉に輝いた。


th[9]  モンテディオ山形

この季の水戸戦はモンテディオの2勝1敗1分であった。監督は柱谷幸一(山形)と前田秀樹(水戸)。水戸には広島から田中マルクス闘莉王(トゥーリオ)(22歳)がレンタル移籍されていた。山形は初戦ホーム(5月10日)1-0で勝ったが、得点はトゥーリオのオウンゴールであった。

次のアウエイ戦(6月14日)は2-0で勝ったが、山形サポーターは「トゥーリオ、トゥーリオ」と連呼して応援した。それはオウンゴールへの冷やかしと謝礼、それにJ2には類まれなセンターバックへの賛辞であったと思う。この季トゥーリオは水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。   

私はこのホームアンドアウエイ2試合を観戦したが、プラチナの思い出である。まさしく、浦和、名古屋の全盛時代と2010ワールドカップを先取りした前哨戦を見たことになったのだから。

浦和レッズ時代
2004年に広島から浦和レッズに完全移籍、レギュラーで活躍し、ステージ優勝を果たした。
2006年にはリーグ初優勝を果たし、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)および日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を受賞した。
2007年にはAFCチャンピオンズリーグ優勝、FIFAクラブワールドカップ 3位に貢献し、浦和の黄金時代を築いた。
2008年にはDFながらチーム得点王となる11得点を挙げるなど、攻守にわたって浦和の軸として活躍した。Jリーグベストイレブンには、浦和に在籍した6シーズンすべて選出された。2008年7月にはハットトリックを達成した。


200908012[1]                                                      名古屋グランパスへの移籍

名古屋グランパス時代
2009年シーズン終了後に浦和との契約延長交渉が合意に至らず、契約満了により浦和を退団し名古屋グランパスへの完全移籍が決定した。欧州からもオファーが来ていたが、移籍先を国内の名古屋に決めた理由はストイコビッチ監督から「来年はワールドカップがあるから、日本でプレーするべきだ」と言われたことが最大の決め手となった。

2010年に移籍した名古屋グランパスでは、入団会見で「リーグ優勝できなければ名古屋に来た意味はない」と語った。言葉通り、名古屋を初優勝へ導いた。最終ラインを巧みに統率して守備を安定させ、空中戦でも圧倒的な強さを発揮。さらに高精度のフィードを前線に配給して攻撃の起点になりながら、機を見て攻め上がりゴールにからむ決定的な仕事もこなした。その貢献度は大きく、「初優勝の最大の立役者」との評価を受けた。チームメイトの楢崎正剛は、MVPは闘莉王であると評価し(実際に受賞したのは楢崎)、名波浩は「勝ち点10以上を一人で持っている」と語った。

ワールドカップ 日本対 コートジボワール戦

DSC01004.jpg  ドログバ

ワールドカップ 日本対 コートジボワール戦
6月16日(日)、FIFAブラジルワールドカップ一次リーグ第1戦コートジボワール戦で日本は1-2で敗れた。
前半16分本田圭佑の得点で1-0とリードしたが、後半16分30秒ディディエ・ドログバが入って間もなく、19分、21分と2分間で立て続けに2失点した。コートジボワールのエネルギーが爆発したとしか言いようがない。


温度、湿度、雨、ピッチコンデションの影響であろう、日本チームはエネルギー不足でピッチが広く見えた。ドログバの存在感が異次元だとか大王だとかと表現されていたが、ここはドログバを英雄にして、次のギリシャ戦に期待しよう。

※国名:コートジボワールは、かつては「象牙海岸」(象牙海岸共和国)と呼ばれた。英語では「Ivory Coast(アイヴォリ・コースト)」。同国政府が翻訳国名ではなく公用語フランス語国名の使用を他国に要請している。15世紀にポルトガル、イギリス、オランダなど西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航した。黄金海岸、胡椒海岸、奴隷海岸などとともに、この地には象牙海岸(Côte d'Ivoire)という名が付けられた。



田中マルクス闘莉王とドログバ
敗けと以下の話は関係ないが、記して記憶を新たにしたい

闘莉王の代表歴
ジーコ監督には一度も招集されず、2006FIFAワールドカップには出場することができなかった。
イビチャ・オシム監督の指揮するA代表に初選出(2006年8月)。以降は負傷を繰り返しながらも、日本代表の中心選手として定着した。2008年からの2010 FIFAワールドカップ・アジア最終予選では8試合に全試合フル出場して本大会出場に貢献し、本大会への代表にも選出された。


本大会直前に行われた強化試合である2010年5月30日のイングランド戦では前半に得点を決めたものの、後半にはクリアミスによるオウンゴールを献上した。

soccer100402_1_title[1] (600x400) (2)  田中マルクス闘莉王

闘莉王(トゥーリオ)とドログバ
さらに6月4日に行われた強化試合コートジボワール戦では2戦連続となるオウンゴールを献上。直後のプレーでディディエ・ドログバと交錯、ドログバは右腕を骨折した。コートジボワール代表のエリクソン監督はこの件を全く非難せずに、「不運だったのです。あれは悪いプレーではなかったし、愚かなプレーでもなかった。故意ではなかった。」と擁護した。その後のドログバの右腕の回復は良好で、本大会に間に合わせることができ、本大会ではギプスを装着しての出場が認められた。なお闘莉王は本大会後に、著書の中でエリクソン監督へ深い感謝を述べた。故意ではなかったものの、ドログバには日本サッカー協会を通して謝罪文を送付し、誠意を尽くした。

2010 FIFAワールドカップ本大会(岡田武史監督)では、守備の大黒柱として全4試合にフルタイムで先発出場し、自国開催以外で初となる日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。冷静な読みとカバーリング、空中戦でゴールにカギをかけた。攻撃面でも精度の高いフィードを繰り出してカウンターの起点となり、チームが不調の時期にも熱い言葉をかけ続けてチームを鼓舞した。これらの活躍により、本大会直前に挙がっていた周囲からの不満の声をも消し去った。日本史上最高のセンターバックとして名をとどろかせた闘莉王と中澤祐二のコンビは、アーセン・ベンゲルから「日本代表の最高の武器だった」と絶賛された。

ee937fdea27552e41febff4e82249f72[1] (750x499) (2) (750x499)  名センターバック 中澤祐二

ドログバの願い
コートジボワールは多民族国家で政情が不安定で内戦が絶えない。ドログバは2011年6月、2010年コートジボワール危機以降混迷が続くコートジボワールの和平を進める11人の特別委員の1人として政府に選出された。ドログバには我々サッカーの代表チームはチームワーク良く戦っている。民族、部族間でもこのようにならないものか、という思いがある。アメリカ『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の中に選ばれている。すなわち、ドログバはサッカー選手を超越した英雄なのである。


ブラジルワールドカップをコートジボワールの多くの国民が見られるように、SONYとJICA(独立行政法人国際協力機構)が3都市5か所で計10回PV(パブリックビューイング)を行っている。合わせて観客同志の親善サッカー試合も行っているという。多くの国民がテレビ観戦することで民族・部族間抗争が減り、コートジボワールが平和な国になって欲しいという願いが込められている。それはドログバ選手・英雄の願いでもある。SONYがJICAが日本がコートジボワールの平和を願い行動している。

だから日本代表が負けていいとか負けて良かったといっているのではない。
己を表現できなかったから日本代表は負けたのだ。同点弾は、本田のボールの失ない方が悪かったから、失点の予感があった。悪い予感があたってしまい残念と思った。負けたのはかえすがえし悔しいが、次のギリシャ戦に全てをかけよう。


続く → 闘莉王のオウンゴールの思い出

長谷部 誠 選手

8707e58f5617a69b97ad8ee1b93c33fb[1]  長谷部 誠 選手

長谷部 誠 選手
2011年3月 『心を整える勝利をたぐり寄せるための56の習慣出版
印税は全額を同年同月11日に発生した東日本大震災の支援のために日本ユニセフに寄付することを決めた。9月までに100万部を売り上げ、スポーツ選手の著書としては初のミリオンセラーとなった。2013年3月のビルト紙によると、売上は140万部を超えており、寄付額も180万ユーロ(現在のレートでは約180万ユーロ×140円/ユーロ=2億5200万円だが、民主党時代レートは少し低かった(円高))に達している。


日本ユニセフ協会の資料より
あさひ幼稚園の園舎には、町内のお寺「大雄寺」の参道に植えられていた樹齢300年にもなる杉の大木が使われています。この杉も津波に飲まれ、塩害で立ち枯れる運命にありましたが、南三陸の命を伝える木として園舎に生まれ変わり、子どもたちを守っています。 。


公益財団法人 日本ユニセフ協会は、地震および津波により被災した岩手県・宮城県・福島県の自治体からの要請を受け、保育園や幼稚園の仮設園舎、学童等の建設や大規模な修繕のための支援を実施してきました。その対象施設の一つ、南三陸町のあさひ幼稚園の新園舎再建には、ドイツ・ブンデスリーガで活躍する長谷部誠選手からお預かりした総額1億1700万円のご寄付を活用させていただきました。

こうした形でのご寄付の活用は、ご自身の呼びかけに応えてくださった著書の読者お一人お一人の気持ちを具体的な形にしたいという長谷部選手の思いから実現。著書の印税と、長谷部選手が2011年6月に出身地藤枝市で開催されたチャリティイベントの収益金の全額が寄付されました

BpKvXBRCcAAKvXL1[1]  コスタリカ戦を観客席より観戦

ユース経歴
ランカーFC
1990年 - 1995年 青島東サッカースポーツ少年団
1996年 - 1998年 藤枝市立青島中学校
1999年 - 2001年 藤枝東高校

プロ経歴
2002年 - 2007年 浦和レッドダイヤモンズ
2008年 - 2013年 VfLヴォルフスブルク(ドイツ)
2013年 - 2014年 1.FCニュルンベルク(ドイツ)
2014年 - 現 在 アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)



 『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』 の内容紹介

心は鍛えるものではなく、整えるものだ。
いかなる時も安定した心を備えることが、常に力と結果を出せる秘訣だ。
自分自身に打ち勝てない人間が、ピッチで勝てるわけがない。』
日本代表キャプテンとして、チームを勝利へ導いた男の実践的メンタルコントロール術。


長谷部誠はサッカー選手としては、特に特徴がある選手ではない。
試合を決定するフリーキックが蹴れるわけではないし、突出したテクニックを持っているわけではない。
だが、彼はあらゆる指揮官に重宝される日本代表の中心選手だ。
浦和レッズではタイトルを総なめにし、移籍したドイツでは、クラブチームを初優勝に導いた。
そして、アジアカップでのチーム優勝……。


彼は一体何を持っているというのか。
それは、類まれなるメンタルコントロール力である。心はよく「鍛える」「磨く」などとされるが、長谷部誠は違う。
心は「整える」ものなのだ。
生活のリズム、睡眠、食事、そして、練習。日々の生活から、心に有害なことをがないように、自分で整える。
そうすることによって、いかなる試合でも、いかなる場面でも揺らぐことがなく、ピッチで力が発揮できる。

実践することはいたってシンプル。力を抜いて無理なく自然体
(コピペ(^^♪を修正)


南三陸町 あさひようちえん

南三陸町  あさひ ようちえん

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                                                  2014年5月28日8:37 撮影
サッカー日本代表キャプテン長谷部誠選手が寄贈した幼稚園
宮城県南三陸町を訪れたのは、震災後三度目になる。南三陸町の役場、病院は体育施設と住宅地などがあった高台に仮設され、いま、町の中心街を形成している。歩いていると「法テラス南三陸」という看板のプレハブがあった。無料法律相談所らしい。恐るおそる覗いてみると、弁護士さんなのだろう、入口に出てきて話をしてくれた。「あの印象的な建物は何ですか?」と私。「あれはサッカーの長谷部選手が寄付した幼稚園です。行けば見せてくれますよ」ということであった。


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                                                     2014年5月28日 撮影
すぐに「がんばれ 長谷部 誠 あさひ幼稚園」というメッセージが目についた。ベストセラーになった本の印税、テレビCMなどの収入が活用されているのだろう。間もなく「ブラジル サッカーワールドカップ」が始まるが、さすがサッカーの一流選手、それも日本代表のキャプテンともなると、大したもんだと納得する。「みなさん! あなたが買った本の印税が活用されていますよ」と快哉を叫ぶ。
       「がんばれ!サッカー日本代表!!」


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                                                     2014年5月28日 撮影
四方にベランダというか回廊をめぐらし、見晴らしが良く、開放的で夢を育む設計になっている。建物は大きく広く木造の骨組みが太くたくましい。明るく日あたりが良い。幼稚園の先生たちも愛想よく応対し説明してくれた。

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                                                     2014年5月28日 撮影
午前9時前、幼稚園児たちが登園してきた。私は早朝出てきたが、まだ午前中早い時間であることを再認識した。

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                                                     2014年5月28日 撮影
広く木材の質感あふれる教室内。梁の集成材も太くたくましい。登園したばかりの幼稚園児たち。
プロフィール

 辻 幸弥 (つじこうや)

Author: 辻 幸弥 (つじこうや)
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