日本経済の屈曲点

日経平均株価の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳

日本経済の屈曲点   検証すべき歴史

1984年12月17日~1989年12月16日;日銀総裁;澄田 智 副総裁;三重野康
・澄田智総裁と三重野康副総裁が就任。澄田が元大蔵省事務次官で、天下り組ということもあって、この頃から日銀プロパーの三重野が実質的な最高実力者として長らく金融政策決定に絶大な影響力を揮うことになった。

平成元年(1989年);三重野康 日本銀行総裁に就任(1989年12月17日~1994年12月16日)
・この年、昭和64年が7日間、1月8日平成に改元
・日本経済にとってもまさしく時代の区切りの年となった。この年の年末、三重野康が日本銀行総裁に就任した。
・いわゆるバブルが最大に膨れ上がり、日経平均株価は史上最高値38,915.87円であった。(上図)

公定歩合の変化(%)
1987年2月 1989年5月 10月 12月25日 1990年3月 8月 1991年7月
  2.50      3.25   3.75   4.25     5.25   6.00   5.50

11月  12月  1992年4月  7月 1993年2月 9月  1995年4月  9月
5.00  4.50     3.75   3.25   2.50   1.75    1.00    0.50

3.25%だった公定歩合(日銀が銀行に貸し出す時の金利)をわずか1年あまりで6%まで引き上げた。
いわゆる「バブル潰し」政策。

この急激な利上げをきっかけに、当時、絶好調だった日本経済に急ブレーキがかかった。大蔵省による不動産向けの融資を抑える規制も同時期に行われたため、株価や地価が大きく下落した。

当時は、株や不動産投資で儲けた人を「やっかむ」空気がマスコミ報道で醸成されており、三重野氏の政策は、濡れ手に粟で儲けた人を「退治」したと喝采を浴びた。


<コメント>
佐高信(サカタ(酒田)のサタカ)氏(評論家)などは三重野康氏を「平成の鬼平」と持ち上げた。
一方、鶴岡の渡部昇一氏は「バブルのどこが悪い、三重野は国賊に等しい」と言った。

急勾配な崖を直登する人は「バブル」で大儲けした(上図)。
正直者で貧乏だと思い込んでいる「庶民」達でさえ、崖っぷちではあるが坂道を登っていた。
働く気さえあれば仕事は選べたし、真面目に働く人に貧乏人はいなかった。
しかし、意外なことに分相応に幸せだとはそのとき気がつかない人が多かった。

富に対する「妬み」から発想された「共産主義的思想」の持ち主が日本には多い。
貧富の差が憎く、濡れ手に粟の「バブル」を退治したかった。

崖を登るクライマーのザイルを切るに等しい政策であった。登りには下りがつきものである。下り方が問題である。
恐怖に駆られザイルを切って墜落し死亡・複雑骨折する馬鹿がどこにいるか。頂上を極めたらゆっくりと楽しみながら降りてくれば良かったのだ。大事なことは「無事帰還」「軟着陸」。対策を考える余裕もできるというものだ。

先行のクライマーのザイルを切ったから自分達の進む道を失い、みんなが崖から落ちてしまった。

経済は「ゼロサム」ではない。儲かった分はプラスなのだ。
私など貧乏人は少しだけでもその分け前をもらえれば幸せである。
北朝鮮に生まれたら分け前どころではない。ゴルバチョフは何故繰り返し日本に来たか? 
日本に来れば「ソヴィエト」にはない分け前にありつけたからである。

ことほどさように日銀総裁の人事は重要である。

歴史の「if」を語っているのではない。
検証されるべき歴史があるのだ。

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