柏崎刈羽原発事故

柏崎刈羽原発事故
柏崎刈羽原発

柏崎刈羽原発事故

阪神・淡路大震災以後の大地震について述べたが、その中に
福島第一原発事故の前にも新潟県中越沖地震で原発事故があったことを記した。
今にして思えばきわどい事故で、それを少し詳しく思い起こし振り返ることにする。

被災状況
2007年7月16日10時13分頃新潟県中越沖地震が起こった。最大の揺れ993ガルを観測し、柏崎刈羽原子力発電所の運転を行っていた2、3、4、7号機は全機自動で緊急停止した。10時25分頃、3号機変圧器から火災が発生したが、3号機の近くにあった消火用配管が壊れていたため職員らによる消火活動は行われなかった。また、「緊急時対策室」が損傷し、地元消防署との専用電話は使用できず、消防隊の到着が遅れた。

原子炉の中央制御室では、100近くの異常を示すアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。3号機と4号機の炉心を冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、炉心冷却を3号機優先と決定した。

発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。新潟県庁にも詳しい情報は伝えられなかった。各自治体へ伝えられていた環境放射線の測定データも地震直後から途絶えていた。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民避難の相談をはじめていた。12時10分、非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められた。東京電力側は初期消火の体制、連携などに不手際があったことを認めた。

その後の調査で、6号機建屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。漏れた量は自然に存在する放射性物質に比較しても少量で、環境に影響はないレベルであった。しかし周辺施設の耐震基準、震災時の火災発生に対する対応などにおいて改善が必要であることが認識された。

IAEAによる調査
国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、地震発生後に調査協力の用意があると表明。日本政府はIAEAに調査団の受け入れを当面見送る意向を伝えたが、泉田裕彦新潟県知事は7月21日「IAEAの調査が必要だ」との考えを表明。原子力安全・保安院はIAEAの調査を受け入れると7月22日に発表した。8月14日にIAEAは予想より被害は少ないとの報告を行っており、同機関による事故評価レベル0から7で「0」である。

設計時の予想を超えた加速度
東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されており、それによると観測された記録は、耐震設計時の基準加速度を上回っていた。その後、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)を観測したとの発表もなされた。

風評被害の発生
観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAのカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている。

その後の経過
10月17日、炉内点検中の7号機で、燃料集合体の取り出し作業を行っているが、制御棒1本が引き出せないことが判明した。
11月27日、6号機において引き抜けなかった制御棒2本を緊急時の手順により引き抜くことができた。

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