北方四島概観  歴史の一視点

北方四島概観  歴史の一視点
歴史の長期的な視野で北方四島を概観する。

概説
徳川幕府が結んだ北方四島に関する条約を、徳川幕府を排除した好戦的な明治新政権が日本を敗戦に導き四島を失った。その中心であった長州出身の政治家が取り戻そうと、恥ずかし気もなくその出身地長門で日露首脳会談をおこなった。

    th183F1SCP.jpg 北方四島 国後島、択捉島は大きいですね

経緯概要
幕末1855年、日露が北方四島に関する条約:日本国露西亜国通好条約(別称;日露通好条約、日露和親条約、下田条約)を結んだ。今日本が主張している国境がこの条約で決められた。小説家吉村昭がもっとも心動かされる人物「川路聖謨(かわじとしあきら)」が露国プチャーチンとの交渉で結んだ条約で、吉村昭は歴史長編「落日の宴・勘定奉行川路聖謨」という傑作に、この顛末を詳細に書いている。
  参考 クリック → 吉村昭 川路聖謨

徳川幕府は優秀な人材を抜擢して政権与党として十分に機能していたことが分かる。13年後、戊辰戦争(1868年)という無駄な内戦で薩長藩閥政権ができ、制定された明治憲法、皇室典範は欠点が多いもので、日本は好戦的な軍事国家になってしまった。その長州の長門で、長州出身(を少々鼻にかけている)安倍首相とプーチン露大統領が「北方四島に関する日露首脳会談をおこなった。歴史的に観て、私には何という皮肉かと思われる。



現実を重視し開国・開港したのは徳川幕府であり、攘夷! 攘夷!!と時代錯誤な行動をしたのは薩摩・長州藩であったことは誰でも知っている。科学技術だって肥前藩(佐賀藩、鍋島藩)や幕府自身などが維新前に発展させていたし、長州藩の反射炉は肥前藩の縮小模型に過ぎないから、世界遺産とはチャンチャラおかしい。肥前藩は薩長土肥藩閥の一つであるが、反射炉は徳川幕府の大砲を鋳造しているし、閥内では疎外された存在であった。

赤松小三郎や坂本龍馬を暗殺せず、無駄な戊辰戦争をしなかったら、好戦的な明治新政府にはならなかっただろう。殖産興業だって中心になった人材に渋沢栄一のような旧幕臣も多数いた。明治政府内の権力争いは激しくなっただろうが、嚆矢となり賠償金の味をしめた日清戦争も起こらなかったかも知れない。

  参考 クリック → 赤松小三郎
      クリック → 天皇制と明治維新

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