漫画家 望月三起也氏 日本の女子サッカーの「父」

DSC07199 (2)
                                                   望月三起也氏 NHKテレビ
漫画家 望月三起也氏 日本女子サッカーの「父」

漫画家望月三起也さんが亡くなった。
古くからの女子サッカーファンにはお馴染みの人である。私はJリーグが始まったころから、Jリーグのみならず、女子サッカーリーグ(L・リーグ)も高校選手権(男子)も女子高校全国大会(妻沼カップ)も観戦したことがあるから、漫画家というより女子サッカーの支援者として知っているし、感謝している。

これについてサッカージャーナリスト大住良之氏が書いている。要約すると、
いまや「なでしこジャパン」と呼ばれてメジャーな存在になった日本女子代表。そのスタート1981年は、男子サッカーもメキシコ五輪の輝きの後のどん底時代だった。すなわちサッカー界に女子サッカーを支援する余裕など皆無だった。

そこで女子サッカー連盟は三菱グループに助力を頼んだ。日本サッカーリーグの強豪・三菱重工は本社内に女子サッカー部をもつなど、女子サッカーに理解が深かったからだ。 全日本女子サッカー選手権の第1回大会は全試合が東京・巣鴨にある三菱養和会のグラウンドで行われた。

また日本女子代表中国遠征のときにパンツに「三菱」のマークをつけていたことさえある。協会からは援助が出ない。女子連盟のサイフもからっぽ。遠征費の半分は選手に負担させるが、残りの半分は三菱グループに泣きついた。三菱グループは了解したが、社内的に「大義」を通すためにマークを入れさせたのだ。

DSC07197 (2)
                                              代表作「ワイルド7」  NHKテレビ

では、その三菱グループを女子サッカーに引き込んだのは誰かというと、真画家の望月三起也さんだったのだ。 『少年キング』誌で1969年から始まった「ワイルド7」という漫画の大ヒットで、70年代の前半にはすでに「大家」のひとりになっていた望月さん。三菱サッカー部の選手との親交をきっかけに大のサッカーファンとなり、横浜で自ら「ワイルド11」というチームをつくり、センターフォワードとしてプレー、盛んに活動していた。

DSC07229 (2)
 望月三起也氏による第1,2,3回日本女子サッカーリーグパンフレット(公式プログラム)の表紙 

そこにやってきたのが、サッカー好きの女性たちだった。
「先生、私たちもサッカーをしてみたい!」 その声に押され、望月さんは「ワイルド11レディース」というチームを立ち上げる。そしてその熱心さに感動し、三菱にも女子サッカーチームをつくるよう働きかける。三菱が女子サッカーに理解を示すようになるのは、それがきっかけだった。すなわち、望月氏と三菱の人脈の親しさが、前記のような経緯をたどる機動力になったのだ。

DSC07216 (5)
  望月三起也氏による第4,5回女子サッカーリーグ 6回 L・リーグパンフレット(公式プログラム)の表紙

望月さん自身も協力を惜しまなかった。全日本女子選手権のプログラムの表紙は、90年代になるまで望月さんの漫画で飾られていた。もちろんボランティアである。というわけで、私は望月三起也さんを「日本の女子サッカーの父」のひとりと認定し、女子サッカーに関心をもつ人びとに広く知っておいてほしいと願うばかりだ。(大住良之氏コラム要約)

DSC07206 (2)
第10回 L・リーグ(1998年 日本女子サッカーリーグ)公式プログラムに望月さんが書いたイラスト&エッセイ

DSC07232 (3)
  望月三起也氏による第7,8回 L・リーグパンフレット(公式プログラム)表紙と9回 ポスター

日本女子サッカーリーグは1989年に始まった。Jリーグ発足の翌1994年にL・リーグと命名、2004年にはなでしこリーグと命名された。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

 辻 幸弥 (つじこうや)

Author: 辻 幸弥 (つじこうや)
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR