日本現代史の大局的一視点 追補

c4c9302e7275be7e80f915052f46b4a29c8be923[1]  日露戦争
  欧米の代理戦争の一面があった。 多額の外債が可能だったのはその証左?


日本現代史の大局的一視点 追補
 前項を前提に追補する。

明治以来、日本は一貫して大陸(清国、ロシア、ソ連)からの脅威、共産主義化、社会主義化を脅威としてきた。しかし、肝心なときに、その初心・基本戦略を忘れる愚を犯してきたのではないか?


日清戦争:
外務大臣陸奥宗光 「元来日本国の宣言するところにては、今回の戦争はその意全く 朝鮮をして独立国たらしめんにあり」。 日本は朝鮮の独立を清に認めさせ、清から領土(遼東半島・台湾・澎湖列島)と多額の賠償金などを得ることになった。三国(ロシア・フランス・ドイツ)干渉で遼東半島返還を受け入れるも、賠償金で軍備を拡張した。


三国干渉があったとはいえ、国家の出発点として調子に乗り過ぎる要因として作用したのではないだろうか?


日露戦争:対アメリカ
桂・ハリマン協定;アメリカはポーツマス条約の仲介により、満洲に進出することを企て、ロシアから日本が譲渡された東清鉄道支線を日米合弁で経営する予定を桂内閣と成立させた(1905年10月12日)。アメリカの鉄道王ハリマンを参画させるというものであった。この協定はポーツマスから帰った小村外相の反対により破棄された。

① 日本へ外債や講和で協力したアメリカ はその後も中国進出を意図したが、日英露三国により中国権益から締め出されてしまった。歴史的に俯瞰すれば、ロシアの南下政策を恐れていた初心を貫くには、アメリカ・ハリマンを参画させることが最良の戦略であった。それにより、その後の満州事変も、日中戦争も、ひいては、太平洋戦争もなかったであろう。

桂太郎首相や元老の方が小村寿太郎外相より戦略眼があったということになる。
すなわち、東大出の官僚より、明治維新をくぐり抜けた元老の方が広い視野を持っていた。



満州事変
② リットン調査団 のリットン報告書は日本に不利な面ばかりでなく日本の立場も考慮されていたものであった。これを受け入れ、国際連盟脱退はさけるべきであった。
満州国建国 後、日中戦争に突入したのは戦略上の大きな間違いであった。


<コメント>
①②③は戦略的分岐点であったが、全ての選択を間違えた。

①を選択すればアメリカとの太平洋戦争はなかったであろう。
  満州事変もなかっただろうから最も重要な選択肢である。
②で日本は国際的に孤立した。
③を選択しなければ、第二次世界大戦の泥沼に入ることを避けられた可能性がある。
  石原莞爾はやはり戦略的天才であった。

現在、大陸共産主義からの脅威はこれまで以上に大きくなっている。
①②③の分岐点全てで誤った選択をしたからである。



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