卑弥呼と古代天皇 西暦表示

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  八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)

卑弥呼と古代天皇 西暦表示
歴史年代は数列が連続的な故に西暦表示が、和暦より、歴史の流れが分かりやすい。
前節の卑弥呼=天照大御神と神武天皇の時代を西暦表示すると以下のようになる。

西暦247年あるいは248年頃(3世紀中頃) 卑弥呼死去
魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝(日本時間。世界時では9月4日)に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、これが卑弥呼の死に関係すると唱えた。井沢元彦もこの説を支持している。橘高章と安本美典は、247年3月24日夕方にも北部九州で皆既日食が起こったことを指摘し、247年の日食が原因で卑弥呼が殺され、248年の日食が原因で男王に代わり壹与が即位したと唱えた。これらの説は、邪馬台国北九州説や卑弥呼・天照大神説と密接に結びついている(ただし不可分ではない)。


卑弥呼に関する中国歴史書の記述
239年(景初三年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
240年(正始元年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
243年(正始四年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
245年(正始六年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
247」年(正始八年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
248年(正始九年)頃あるいはその前後 日本列島で皆既日食。(247年3月24日日没)
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 – 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
日本列島で皆既日食。(248年9月5日日出)


神武天皇
五代前に当たるのが天照大神=卑弥呼。前ブログの一代=10.2年を適用すると、10.2×4=40.8年前
西暦288〜289年(=西暦247〜248+41)に神武天皇が皇位に就いた。
現在(2015年)から1726〜1727年前に就位したことになる。
神武天皇は3世紀末に就位し、その治世は3世紀末から4世紀初頭に及んだ可能性がある。


<コメント>
天照大御神」の「天の岩戸神話」は「卑弥呼」の時代の「日食」に比定されるが、それは真実であろう。

かつて、皇紀、神武天皇即位紀元、神武紀元 と言い、神武天皇(初代天皇)が即位した紀元前660年を元年としたが、それほど日本の歴史は長くないようである。

ただし、縄文、弥生時代の遺跡は豊富だから、遺跡から遡れる歴史は永い。これらの時代、先祖は喰いつなぐだけで苦労したとは思われるが、意外にも豊穣な一面もあったようである。
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