菅原文太×井上ひさし×宮藤官九郎 の 交差点

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  仙台一高の同窓会         井上ひさし              菅原文太 
 
菅原文太×井上ひさし×宮藤官九郎交差点

私は国道4号線沿いの栗原を車でたびたび通る。築館、若柳、神成、有壁。鬼死骸 は一関。故郷の鶴岡に行くときは、築館から菅原文太が住んだ一迫を経由して鳴子温泉を通る。鳴子の近くに鬼首温泉があるが、鬼の死骸と首は直線距離で約40km離ればなれ。このあたりが菅原文太×井上ひさし×宮藤官九郎の交差点である。


菅原文太が亡くなった。享年81歳
1933年(昭和8年)8月16日に宮城県仙台市に生まれた。父菅原芳助(新聞記者、洋画家・詩人:狭間二郎)
4歳から小学校4年までは東京府(現・東京都)育ち。
1943年(昭和18年)に父親が出征すると、父親の実家がある宮城県栗原郡一迫町(現・栗原市)に疎開し、(旧制)宮城県立築館中学校卒業まで同地で過ごした。なお、旧制築館中学校は宮藤官九郎が活躍し卒業した県立築館高校の前身で菅原文太は宮藤官九郎の先輩にあたる。

1949年(昭和24年)、学制改革による新制高校の発足により、県内屈指の名門校である宮城県立仙台第一高等学校に入学。同校では新聞部に所属した。同じ新聞部の一学年下に井上廈(劇作家:井上ひさし)がおり、同校に隣接する宮城県第二女子高等学校には、後に共演することとなる若尾文子がいた。
高校の後輩である作家井上ひさしとは親友であり、代表作「吉里吉里人」の映画化権を預かっていて、文太自身が自らのプロデュースで映画化すべく奔走していたが、実現することなく幻になってしまった。この作品へのこだわりは、栗原が舞台だったことが関係していると思われる。
 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋、加筆 



井上ひさし
母井上マスの仕事で『人生はガタゴト列車に乗って』 山形県小松町から栗原を経由し岩手県一関市に引っ越すが、赤貧洗うが如しの貧乏生活で仙台の施設にあずけられた。その施設から仙台第一高等学校に通う。菅原文太の一年後輩で同じ新聞部に所属する。仙台一高で県立第二女子高等学校と演劇部を作る。若尾文子と同じ演劇部に所属したことになるがそのことを小説「青葉茂れる」に書いている。それによると二年生のとき若尾文子は映画界入りし、演劇部からいなくなった。

一関(岩手県)は栗原(宮城県)のすぐ北に隣接し、栗原は後に書く名作『吉里吉里人』の舞台になる。なお、吉里吉里は岩手県三陸海岸の大槌町にある地名である。一関は『ガタゴト列車』途中下車で、母井上マスは釜石に永く住んだ。井上ひさしも釜石に住み病院に事務員として勤務したことがあり、大槌町は釜石のすぐ北に隣接する。

photo143_01[1] (528x347) 映画 『ゲゲゲの女房』で共演
     武良布枝役の吹石一恵       茂役の宮藤官九郎

宮藤官九郎 は
宮城県栗原市若柳町出身。実家は文具店を経営。幼少時から文才を発揮し、作文コンクールなどでいくつもの賞を受賞する。県立築館高校出身で、高校時代から学校祭では創作・演出・自演でハチャメチャに活躍していたという。
脚本家、作家としての宮藤官九郎であるが、私は「ひょっこりひょうたん島」「吉里吉里人」などを書いた「井上ひさし」を連想する。共通点は「シェークスピア」タイプの作家だということである。この三人には、方言、流行語、時勢などにかかわる言葉を縦横に駆使し語彙が非常に豊富だという共通点がある。

NHK朝ドラ『あまちゃん』 はそのキャラクターの多様さという点が真骨頂で、多数の新旧俳優が自在に活躍したことではほかに例を見ない。あれだけ多数の多様な俳優に存分に個性を発揮させ、尚且つ新人を多数輩させたことは脚本が持つ力であろうと思われる。「井上ひさし」の最も井上ひさしらしい作品に「吉里吉里人」があるが、その舞台が宮藤官九郎の出身地であることに強い縁を感ずる。


「シェークスピア」には「地球座」があり、「井上ひさし」には小松座がある。三人の交差点である栗原というパワースポットに「吉里吉里座」ができることを夢見る。箱モノではなく民間の力によるささやかな文化の中心として。


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