碑が立つ話  藤沢周平の随想

DSC00545_20140612224850eae.jpg  藤沢周平先生「記念碑」

碑が立つ話   藤沢周平の随想

藤沢周平に「早春」という現代小説がある。文春文庫「早春」に収められているが、この文庫本はこのほか時代短編小説2編と随想4編から構成されている。その随想の最終編が「碑が立つ話」である。平成7年(1995年)に書かれたと推定される。以下に終わりの部分をそのまま引用する。
  参考  クリック →   藤沢周平生誕地と湯田川中学校のあいだ
             →   湯田川温泉


「碑が立つ話」より 引用
  一昨年の秋に郷里に帰ったとき、私は泊まっている旅館の女将(おかみ)大滝澄子さんに萬年慶一君を呼び出してもらった。
  二人とも私の教え子で、郷里に残る同級生のまとめ役をやらされている。萬年君は家業の農業のかたわら鶴岡市農協の理事も兼ねていて、いそがしい身体なのだが、夜になるとさっそくにやってきた。彼の家は旅館から歩いて十分以内のところにある。
  私は旅館のロビーで二人を前にならべ、哀草果の歌碑の例も出して、文学碑はだめだと強い口調で言い聞かせた。二人は黙々と聞いていたが、やがて萬年君が顔を上げた。「先生が派手なことを嫌うことはよくわかっているいるけれども、文学碑は先生だけのものではなく、私たちのものでもあると思う。碑を見て、あああのころはこんなに身体がちっちゃくて、先生から勉強を習ったなと懐かしく思い出したり、そこに碑があることで何かのときに力づけられる、そういうもんではねえだろうか。もし、先生と私たちをむすぶ絆を形にしたものがなかったら、さびしい」
  今度は私が黙って聞く番だった。負うた子に教えられるという言葉がちらりと頭を横切った。結局私はあなたがたにまかせようと言った。ただし文学碑という言葉を一切使わないことを条件に出した。碑はどこかに「藤沢周平ここに勤務す」というような文字を加えて、校庭の一隅に建てることになるらしい。その動きをわたしはいま、時にはとてもはずかしく、時には私ほどしあわせな者はいまいと思ったり、複雑な気持ちで眺めているところである。

DSC00547[1]
                                 藤沢周平先生の教え子「萬年慶一氏」の「記念碑」発起文

引用文に書かれているように萬年慶一氏は鶴岡市農協の理事であったが、私の兄も同時期に理事で特に親しくさせてもらっていた。萬年さんが藤沢先生に逢うと先生が書いた色紙を持って来るが、自分の手元に残っているのかなあ、と心配していたことがあった。
色紙には 「軒を出て 狗寒月に 照らされる」 と 「花合歓や 畦を溢るる 雨後の水」 という自作の俳句が書かれていたと記憶している。狗は(いぬ)、合歓は(ねむ)と読む。藤沢周平が結核で教職を離れざるを得なくなり、東京近郊の病院で療養していたとき、「海坂(うなさか)」という俳句の会に所属していたがそのときの作品と思われる。


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