諏訪根自子 3

 
 昭和11年(1936)、16歳でベルギーに留学(3月11日、ブラッセル到着)、そのとき保護者格のベルギー大使は来栖三郎であり、ベルギーではエリザベス皇太后の客人といった立場だったという。翌昭和12年(1937)、立川~ロンドン間1万5千㎞を94時間余で飛行し4月9日ロンドンに到着した飯沼正明操縦の「神風」がベルギーのブラッセルを親善訪問した。4月16日のことであった。根自子は来栖大使の娘と「花束」を渡す。

 この小説の二人の主人公の接点は「時代」と二人とも「美貌」であったことと「ブラッセル飛行場」だけである。根自子は「飯沼さんはとても綺麗、あんな人は一寸見たことがない」と日記に書いたし、飯沼は「今日は諏訪根自子さんが、出迎えてくれた」と国際電話で東京へ報告した。

 昭和13年(1938)1月、諏訪根自子は留学を終えパリに移り、翌年、演奏家としてデビューする(諏訪根自子1 冒頭写真)。第二次世界大戦とともに、昭和15年パリの在留邦人、画家藤田嗣次、岡本太郎などが帰国してゆく。藤田は帰国後「戦争画の歴史的大作」を描いている。しかし、根自子は戦時下のパリにとどまった。この状況下で演奏活動をし、賞賛される。

 昭和16年の第二次引き揚げにも諏訪根自子は応じなかった。昭和17年ドイツ占領下、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなど一流指揮者達が指揮する交響楽団と次々に共演する。昭和16年2月、ナチス・ドイツ宣伝省ゲッペルスからストラディバリウスのヴァイオリンを贈呈される。

 戦時空襲下、根拠地パリからベルリンへの移動にも苦労した。与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男外交官与謝野秀(しげる、政治家与謝野薫の父)の努力で、スイスで演奏会を行う。回を重ねる毎に評価と知名度が上がり好評の度が増した。新聞記者など周囲にスイスへ居を移すよう尽力する人がいたが、しかし、もはやベルリンからスイスへの移動さえままならなかった。
 

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