ノーベル賞と日本 2

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                                  浮田幸吉物語 長編小説 『始祖鳥記』 (飯嶋和一作)
ノーベル賞と日本 2

浮田幸吉 続き
浮田幸吉物語 長編小説 『始祖鳥記』 飯嶋和一作 
   2000年に小学館より刊行  2002年に小学館文庫で文庫化(ISBN 978-4094033113)
同時代の雷電為衛門を描いた『雷電本紀』と並列して書いている。双方ともに非常に面白い傑作小説。雷電は頭脳明晰で知恵のある類い稀な人物であった。

飯嶋和一;山形県生まれ
受賞歴 1983年小説現代新人賞 1988年第25回文藝賞 
2000年 『始祖鳥記』 第6回中山義秀文学賞  2008年第35回大佛次郎賞。


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                                                二宮忠八のカラス型模型飛行器

二宮 忠八(にのみや ちゅうはち、慶応2年6月9日(1866年7月20日)- 1936年(昭和11年)4月8日)
明治時代の航空機研究者。伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身


陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年1890年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。ライト兄弟の成功後、軍幹部が二宮中八に謝罪したと伝えられる。

なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。


為政者、権力、民衆の対応
浜田幸吉は権力・為政者に邪魔にされた。藩を放逐され、後年は処刑されたという噂さえある。民衆も空を飛ぶことに畏敬の念から、『鵺(ぬえ)』と恐れおののき、気味悪さから反発したと『始祖鳥記』は描く。


二宮 忠八は軍幹部の無理解が原因で世界初をライト兄弟に譲った。『レーダー』の開発実用化など、類似したことは日本の技術開発には多い。

関孝和は和算・数学の世界で自分の頭脳で完結するので邪魔はされていない。和算は一般大衆でもブームであった。その業績はヨーロッパに先んじている部分もある。 数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞には当然該当して余りあるだろう。

飛行機の発明でノーベル賞受賞があるとしたら
滑空機(グライダー)と動力付飛行機の発明者2名に与えられるであろう。
リリエンタールとライト兄弟の可能性があったとしても、浜田幸吉と二宮忠八はそれに先んじていた。
現在、日本人のノーベル賞受賞者が多いのはこれらの先人の才能を受け継いでいるからであろう。
湯川秀樹以前の明治末、大正、昭和時代にも数え上げるべき人材は多い。



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