ノーベル賞と日本

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                                           浜田幸吉の滑空機(グライダー) 『始祖鳥』
ノーベル賞と日本 1

最近、日本人のノーベル賞受賞者が多く、特に理系の受賞者が多いことが、同じ日本人として誇らしい。
ノーベル賞で価値があるのは、理系の物理学賞、化学賞、医学生理学賞であると思う。
最近の経済学賞は、イデオロギー、思想とは縁が薄いようなので、理系と同様に価値があるだろう。
文学賞、平和賞、特に平和賞は、思想、イデオロギー、政治、国家の影響を受けるので、価値を感じない。

近年、日本人のノーベル賞受賞が決まると、江戸〜明治時代の天才たちを連想する。
関孝和、浮田幸吉、二宮忠八の3名について、自分の知識を以下に簡単に整理したい。



関孝和  和算の大家  江戸時代初期
生年は寛永12(1635年)- 20年(1643年)の間 〜 宝永5年10月24日(1708年12月5日)死去。

西洋の発展とは独立に、○世界で最も早い行列式の概念樹立  ○131072角形を使って円周率、小数第11位まで算出3.14159265359微弱」 ○エイトケンのΔ2乗加速法を世界で最初の適用、円周率を小数点以下第16位まで正確に求めている。西洋でエイトケンのΔ2乗加速法が再発見されたのは1876年、約200年後である。 ○ヤコブ・ベルヌーイより1年早くベルヌーイ数を発見していた。 ○二項係数 ○方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、求長・求積に関する業績を挙げている。アイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツよりも前に微分積分学を創始したと語られることがある。

算聖とあがめられた。明治以後も日本数学史上最高の英雄的人物とされた。
上毛かるたに「和算の大家 関孝和」と詠われている。



浮田幸吉  江戸時代中〜後期
浮田幸吉(うきた こうきち、1757年(宝暦7年)- 1847年(弘化4年)?)は、日本で初めて空を飛んだとされる。
鳥人幸吉、表具師幸吉、表具屋幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)とも呼ばれる。

「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出し人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた。
表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。試作を繰り返し1785年(天明5年)夏、京橋の欄干から飛び上がった。即座に岡山藩士によって取り押さえられた。時の藩主池田治政により岡山所払いとされた。

1849年のジョージ・ケイリーのグライダーによる有人滑空実験よりも60年以上早い
熱気球による有人飛行は幸吉の飛行の2年前の1783年11月に達成されている。

晩年、駿府で再び空を飛んで騒乱の罪で死罪となったとも、遠江国見附(現在の静岡県磐田市)に移り妻子を得て平穏な余生を送り、1847年(弘化4年)に91年の長寿を全うし死去したとも伝えられる。

                                                                  つづく

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