田中マルクス闘莉王

90246991[1]  超攻撃的リベロ

田中マルクス闘莉王

モンテディオ山形   闘莉王にオウンゴールを献上された
2003年J2モンテディオ山形―水戸ホーリーホック戦までさかのぼろう。
J2山形はイングランド、コートジボワールとともにトゥーリオ(闘莉王)にオウンゴールを献上された栄誉に輝いた。


th[9]  モンテディオ山形

この季の水戸戦はモンテディオの2勝1敗1分であった。監督は柱谷幸一(山形)と前田秀樹(水戸)。水戸には広島から田中マルクス闘莉王(トゥーリオ)(22歳)がレンタル移籍されていた。山形は初戦ホーム(5月10日)1-0で勝ったが、得点はトゥーリオのオウンゴールであった。

次のアウエイ戦(6月14日)は2-0で勝ったが、山形サポーターは「トゥーリオ、トゥーリオ」と連呼して応援した。それはオウンゴールへの冷やかしと謝礼、それにJ2には類まれなセンターバックへの賛辞であったと思う。この季トゥーリオは水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。   

私はこのホームアンドアウエイ2試合を観戦したが、プラチナの思い出である。まさしく、浦和、名古屋の全盛時代と2010ワールドカップを先取りした前哨戦を見たことになったのだから。

浦和レッズ時代
2004年に広島から浦和レッズに完全移籍、レギュラーで活躍し、ステージ優勝を果たした。
2006年にはリーグ初優勝を果たし、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)および日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を受賞した。
2007年にはAFCチャンピオンズリーグ優勝、FIFAクラブワールドカップ 3位に貢献し、浦和の黄金時代を築いた。
2008年にはDFながらチーム得点王となる11得点を挙げるなど、攻守にわたって浦和の軸として活躍した。Jリーグベストイレブンには、浦和に在籍した6シーズンすべて選出された。2008年7月にはハットトリックを達成した。


200908012[1]                                                      名古屋グランパスへの移籍

名古屋グランパス時代
2009年シーズン終了後に浦和との契約延長交渉が合意に至らず、契約満了により浦和を退団し名古屋グランパスへの完全移籍が決定した。欧州からもオファーが来ていたが、移籍先を国内の名古屋に決めた理由はストイコビッチ監督から「来年はワールドカップがあるから、日本でプレーするべきだ」と言われたことが最大の決め手となった。

2010年に移籍した名古屋グランパスでは、入団会見で「リーグ優勝できなければ名古屋に来た意味はない」と語った。言葉通り、名古屋を初優勝へ導いた。最終ラインを巧みに統率して守備を安定させ、空中戦でも圧倒的な強さを発揮。さらに高精度のフィードを前線に配給して攻撃の起点になりながら、機を見て攻め上がりゴールにからむ決定的な仕事もこなした。その貢献度は大きく、「初優勝の最大の立役者」との評価を受けた。チームメイトの楢崎正剛は、MVPは闘莉王であると評価し(実際に受賞したのは楢崎)、名波浩は「勝ち点10以上を一人で持っている」と語った。

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