石原信雄元官房副長官の 河野談話 に関する証言

bmh07[1] 石原信雄元官房副長官

石原信雄元官房副長官の 河野談話 に関する証言 

石原信雄元官房副長官は2月20日、衆院予算委員会に参考人として出席し、慰安婦募集の強制性を認めた1993年(平成5年)の「河野洋平官房長官談話」について証言した。当時の事務方のトップとして作成過程をはじめて公の場で証言した。質問者は日本維新の会 山田宏議員

石原信雄証言を聞いて、私が興味を持ったのは、まず、河野洋平の前任者「加藤紘一官房長官」が韓国の要求に対して、慰安婦の強制連行を認める根拠はないと、繰り返し拒否したという証言内容である。

石原信雄元官房副長官の経歴
1984年:自治事務次官に就任
1987年:竹下内閣の内閣官房副長官(官僚だから当然事務方)に就任。以後、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜、村山富市まで七人の総理を内閣官房副長官として補佐した。まさに現代政治史の生き証人である。
1995年2月;官房副長官退官
1995年4月:東京都知事選挙に立候補するも青島幸男に敗れた(次点)。

宮沢内閣(第78代 内閣総理大臣);1991年11月5日 - 1993年 8月 9日 
宮沢外交は、1982年の「歴史教科書」問題と1993年」の「河野談話」に代表されるように腰抜け謝罪外交であった。
宮沢首相は韓国に8回謝った。そして、決定的なのは任期の最後に「河野談話」で末節を汚したことだ。


1982年(昭和57年)8月26日、「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図り、その談話では、「近隣諸国民の感情に配慮した教科書にする」という主旨の発言をし、まったく悪質な「近隣諸国条項」なるものが教科書検定に設(もう)けられた。これは百パーセント日本国内の問題である日本の教科書について、韓国や中国の検閲権を認めたようなものだ。宮沢の腰抜け謝罪外交はここに始まった。

宮沢内閣の官房長官
加藤紘一;任期1991年11月 5日 - 1992年12月12日
河野洋平;任期1992年12月12日 - 1993年 8月 9日
         河野談話は8月4日の発表、まさに洋平の最後っ屁。

「新自由クラブ」を結成して自民党を出た河野洋平が宮沢派に戻り、加藤紘一との間にkk戦争と呼ばれる抗争があった。宮沢喜一は加藤紘一より河野洋平が好きだったようだ。私の記憶でも加藤紘一は大平正義を尊敬し語っていた記憶があるが、宮沢について語ったのを見た記憶はない。加藤紘一をおろして河野洋平を官房長官にするのは宮沢の念願だったことになる。かえすがえすも悔やまれる人事である。(加藤紘一は大平側近として知られ、個人としての宮澤は加藤よりも河野を後継に望んだとされる)

「慰安婦問題」に関する加藤紘一官房長官の対応;石原信雄の証言内容
「慰安婦」の強制連行を認める余地はないと発表。韓国内で反発があったようだ。
再度の韓国の要求に対し、加藤官房長官は輸送、衛生管理などの通達、連絡などの資料はある。
強制連行の資料は発見されていない。


※石原信雄は対比することで、河野談話を暗に批判したかったように思われた。

「慰安婦問題」は、宮沢喜一、河野洋平という先見性のない歴史音痴の仲良しクラブが引き起こした問題である。
惜しいかな!!! 加藤紘一が官房長官を続けていさえすれば。
(野田首相と官房長官の組み合わせもダメだったなあ〜)

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