松平甚三郎

DSC00372.jpg            1                                                       晩秋の庄内平野
松平甚三郎


戊辰戦争において不敗であった庄内軍の指揮官は、一番大隊長松平甚三郎久厚 、二番大隊長酒井玄蕃(了恒、吉之丞、吉弥)であった。

戊辰戦争で一番大隊長として活躍したのは十三代目の松平甚三郎であるが、初代松平甚三郎久恒藤沢周平 の名作「ただ一撃」に描かれている。

藤沢周平の小説の舞台は架空の「海坂藩」が多いが、「ただ一撃」は酒井家庄内藩である。酒井家は「信州松代10万石から元和8年(1622年)「庄内13万8千石に移封されたが、その4年後の寛永3年(1626年)の鶴ヶ岡城下が舞台である。

この短編小説は藤沢周平作品の中でもファンの評価が高く人気がある。藤沢作品が映画化される前、ネットで映画にしたい作品の上位を占めていたように思うが、映画化し難いであろう。なにしろ「ただ一撃」で勝負が終わってしまうのだから。


この小説の面白さは、戦場を経験した世代の武将として松平甚三郎久恒、兵法者として刈谷半兵衛、を描写していることにある。この短編小説の主人公は「刈谷範兵衛」であろうが、実在の松平甚三郎久恒を通して戦国武将像はかくやというものを藤沢周平は描きたかったような気がする。

ときの庄内藩主酒井忠勝は徳川四天皇の一人藩祖忠次の孫であり、亀ヶ崎城城代家老松平甚三郎久恒は忠次の四男(小説中には第七子とあるがどちらも正しいであろう)で藩主忠勝の叔父にあたる。忠次の二男は本田康俊、三男は小笠原信之でいずれも城持ち大名である。

戦場の刀遣いの匂いがする清家猪十郎の剣に道場で鍛えた若侍たちは次々にぶざまな負け方をする。
そこで松平甚三郎は酒井家が高崎5万石の時代に召抱えた兵法者「刈谷範兵衛」を思い出し立ち会わせることにする。「儂が立会って試技をみた。精妙な剣を使ったぞ、うん。木剣は触れもせなんだが、相手が切られたのがよく解った。さよう、ただ一撃だった」「されば・・・」「かれこれ六十位になろうか。死んだとは聞いていないぞ」

誰も知らない忘れ去られた刈谷範兵衛の二十年も前に立会った登用の試技をご城代が覚えていた。「その松平が、やれという。断るわけにはいかんぞ、篤之助」範兵衛の表情はひどく活き活きしている。

刈谷範兵衛の長男篤之助「父上は、兵法の嗜み(たしなみ)がおありで?」「侍だ、少々の嗜みはある」「少々ですか」「ご家老の口ぶりはそうでなく、よほどの剣の名手といった言い方だったもので」「なに、ご家老だと?」「どのご家老だ?」「ご城代の松平さまです」「ほほう」刈谷範兵衛の皺ばんだその頬に、ほのかな赤味がのぼった。

「君子は己を知る人のために死す」刈谷範兵衛は己を知る松平甚三郎のために、老体に鞭打ち最後のご奉公をする。城代家老松平甚三郎がいまだに自分のことを憶えていることがモチベーションとなり、爆発的なエネルギーを発散したという物語である。戊辰戦争で庄内藩が強かったのは指揮官に絶対の信頼をおいていたからだという。庄内藩兵は指揮官自慢だったらしい。それにつながる物語である。

ただ一撃で刈谷範兵衛が勝った。  

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