朝鮮半島の地政学

朝鮮半島の地政学
  これは、中立的なメモとしての、事実の羅列である。

グラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)
は「朝鮮戦争」を戦った。マッカーサーほどの戦略家が、朝鮮半島の地政学(ゲオポリテーク)的な意味が解らなかった筈はない。実は朝鮮戦争を戦うまでそれを考えもしなかったふしはある。しかし、朝鮮戦争を戦い、何故日本が日清、日露を戦い、満州事変を戦ったかを理解した。これについて米国議会で演説している。


その答えが前稿(2013-7-29)の“日本人が決して口にしてはならないこと”であり、日本が植民地にならないための対策だったのである。韓国が強国であれば緩衝域・防波堤として機能し問題なかったが、韓国は弱小国でおまけに内政が不安定で「攘夷思想」と「事大主義」を国是としていた。「攘夷思想」では列強の植民地になる可能性が高く、「事大主義」で清国の属国になることが目に見えていた。



日中韓の地政学
中国があり、満州があり、朝鮮半島があり、日本列島がある。
長い歴史の間には隣り合うこれらの国々や民族は、好む好まざるにかかわらず相互作用が生じ干渉しあう。
それらを列記する。


白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)
663年(天智2年)、朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)において、倭国・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間で戦かわれた。

蒙古襲来(元寇(げんこう));文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、弘安の役(こうあんのえき・1281年)
鎌倉時代中期、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)及びその服属政権となった高麗王国によって二度に亘り行われた対日本侵攻の呼称である。主に九州北部が戦場となった。

※朴大統領は恨みは千年も忘れないと言ったが、朝鮮半島の政権「高麗王国」が蒙古襲来のお先棒を担いでからまだ732年しか経っていない。日本は、蒙古の子孫二人を「横綱」にし、他にも名力士が何人かいる。


文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき) 
文禄の役は1592年(文禄元年)に始まって翌1593年(文禄2年)に休戦した。慶長の役は1597年(慶長2年)講和交渉決裂によって始まり、1598年(慶長3年)の秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結した。
豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら朝鮮半島を戦場にして戦われた。日本と明・朝鮮連合軍との間で展開したこの国際戦争は16世紀における世界最大の戦争とされる。

征韓論(せいかんろん)
は、明治初期において、当時の留守政府(岩倉使節団;岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らが外遊中(約1年10ヶ月))の首脳であった西郷隆盛・板垣退助らによってなされた、武力をもって朝鮮を開国しようとする主張である。ただし、征韓論の中心的人物であった西郷自身の主張は出兵ではなく開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」という説もある。「鎖国攘夷の思想」で開国しなかった朝鮮は、排日の風がますます強く明治新政府の「遣韓使節」を受け付けなかった。


日韓併合
1910年(明治43年)8月22日に、韓国併合条約が寺内正毅統監と李完用首相により調印され、大日本帝国は大韓帝国を併合し、朝鮮半島を領有した。1945年(昭和20年)8月15日、大日本帝国は第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)における連合国に対する敗戦に伴って実効支配を喪失し、大日本帝国による朝鮮半島領有は終了した。

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