権力としてのマスコミ論

権力としてのマスコミ論
権力とは;マックスウェーバーの定義
「他者の反対や抵抗(拒絶)を排除してでも、自己の意思・要求を貫徹できるあらゆる可能性」

この定義から、権力に相当するのは、
日本の政権与党=自民党は当然権力である
その総裁であり、首相である安倍晋三は権力者である。日本は民主主義国であるから選挙・投票により国民から選ばれ、権力の座についている。国民は選挙・投票により権力の座を奪うことができる。


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 怒る前に、マスコミの権力、責任を論ぜよ。  目をつむれない弊害が多すぎる。

マスコミもこの定義に当てはまる権力である。

田原総一郎が「俺は首相誰それと誰それをその座から引きずり下ろした」と粋がっていたから彼はまさに権力者だ。この言はハッタリかもしれないがマスコミを代表する彼は権力者以上の権力者だという顔をしたい、言説を用いたい権力志向のジャーナリストであることは間違いない。


朝日新聞が吉田清治の虚言を歴史的真実として報道をしたのは1982年9月2日が最初である。ようやくそれを取り消したのは2014年8月5日。実に31年11ヶ月28日間嘘をつき続けた。その権力の大きさは、その反響の大きさ、例えば、その後の共産党機関紙「赤旗」が9月、「北海道新聞」が11月に朝日新聞に同調して同記事を取り消したことでも判る。
しかし、朝日新聞に洗脳された日本人の団体が韓国の団体と同様、国連、米国などを舞台に今も「従軍慰安婦」反日運動を継続し展開している。げに、洗脳ほど恐ろしい権力はない。朝日新聞の権力継続中。

○同様、朝日新聞発に「南京大虐殺」問題がある。その歴史からどう考えても中国共産党はこれは嘘であることを知っている筈である。皮肉だが、共産党は書記とか書記長が偉いから、歴史を正確に記録している筈である。しかし、中国国内の内政と外交に役立つからこれを政権維持のカードにしている。
朝日新聞には「本多勝一」というスター記者がいた(生存中)。「南京大虐殺」問題を発信した張本人である。今、中国の「南京大虐殺、抗日記念館」に「本多勝一」の特設コーナーまであるという。


2008-1107chikushi-tetsuya1[1]  NEWS23 膳場貴子キャスター 

○「筑紫哲也」(故人)という高名な朝日新聞記者がいた。筑紫哲也は「本多勝一」という先輩を尊敬していた。本多先輩が乗る車の後を駆け足で追いかけた思い出話を「TBSテレビ『筑紫哲也 NEWS23』」で語っていた。毎日新聞系のTBSが朝日新聞記者の筑紫哲也を起用したのは、「毎日新聞」が「小朝日新聞」になり下がったからである。

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東京2020エンブレム

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東京2020エンブレム
2020年東京オリンピック、パラリンピックのエンブレムが上のA案に決まった。

ABCD4案が示されたとき、正直良い案は意外に少ないものだと思った。
C案は、俵屋宗達の龍神雷神図がオリジナルだというコンセプトは良いが現代的に洗練され切っていない。というよりダサい(失礼)。B、D案に引かれる感性を私は持ち合わせていない。
A案しかないというのが私の意見だったが、藍と白の単純な色の組み合わせを選び切れるのかという疑問があった。

だから、A案を選んだ選考委員各位に私は敬意を表したい。

th[5] (2)  B案

th[3]  C案

th[5]  D案
<私見>
気になることがある。エンブレムの下のTOKYO 2020+五輪エンブレム(マーク、ロゴ)、パラリンピックエンブレム(マーク、ロゴ)はABCD案共通になっている。これはエンブレムだけの募集、選定だからこのように共通になっていると思われる。

特にA案に対し、五輪マークもパラリンピックマークも配色とデザインが非常に効いていると感じられる。藍一色だからであろう。だから<TOKYO2020>のように日の丸を入れたら開催国日本もアピールできるし、A案の藍色が一層生きるだろう。もちろんこのデザインも野老氏に依頼したらよい。このように考えるとA案のエンブレムはますます素晴らしいものに思える。

要するに、募集して決めた上半分は今回野老朝雄氏デザインに決まったが、下半分はまだ仮のデザインと考えられる。すでに決まったとするのは、誰かのワンマンであり独裁である。この際野老氏に依頼したら良いと思われる。
 

地震と自助努力   「熊本地震」と「庄内地震」

p06_yamagata[1] (2) 1894 M7.0 : 庄内地震の震源地

地震と自助努力   「熊本地震」と「庄内地震」
 「熊本地震」の報道を見て連想し思い出したのが「庄内地震」である。

1995年(平成7年) 1月17日 阪神大震災(兵庫県南部地震、阪神・淡路大震災)
2004年(平成16年) 10月23日 新潟県中越大震災(新潟県中越地震)
2008年(平成20年) 6月14日 岩手・宮城内陸地震 (4,022ガルはギネス世界記録。山が崩壊
2011年(平成23年) 3月11日 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震) 福島第一原発事故
などを経験して、被災者への援助、自衛隊や各県からの応援部隊の派遣など日本の対応は迅速になったと実感している。現在、自衛隊26,000人、警察、消防その他を含め合計3万人の救助隊を派遣、しかし、食料、水などの供給は、不十分であるとメディアは報じている。これも,余震が治まれば、道路網、水道の回復により早期に改善されるであろう。

では、なぜ「庄内地震」を連想したのだろうか?
○出身地のことだから「庄内地震」について多少知識を持っている。
日清戦争 時の地震で、平和で豊かな現在の日本に比べると、国家の援助、国内他地方からの援助は期待できない状況にあった。事実被災地では、「援助は要らない。我々は自助努力でこの難関を克服する」 とした。
○「庄内地震」は酒田市中心の直下、「熊本地震」も震源が浅い内陸直下型地震で余震が多く、家屋の倒壊率が高いことなどが共通している。

image[1] 庄内地震の液状化の写真
 酒田、黒森、浜中などは砂丘地または砂地の地域で液状化現象が起こりやすい。
 東日本大震災でも湯浜~酒田間砂丘縦貫道路沿いに液状化による池・水溜りが散見された。


庄内地震について
庄内地震は、 1894年(明治27年)10月22日17時35分35秒、山形県庄内平野北部酒田市の中心部を震源として発生したMn 7.0 の内陸直下型地震である。日清戦争は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)3月。開戦3カ月、終戦まで5カ月の時点であった。北国庄内(海坂藩)は厳しい冬に向かう季節であった。

震源は極浅く、最大震度は烈震を記録している。余震も数多く発生した。震源は現在の山形県酒田市の中心部であり、庄内平野東縁断層帯で発生したと推定されている。最大震度は当時の震度階級(微震、弱震、強震、烈震の4段階)で最大の烈震である。地震の規模はM7.3、最大震度は現在の7相当と言われる。

地震の発生が日本において本格的に地震観測を始める直前であったということもあり、正確な記録に乏しく、震源についても正確な位置の特定はできていない。


被害
庄内平野、特に酒田を中心に局地集中的な大きな被害を出した。家屋損壊は本荘や山形まで及び、酒田では大火災が発生し総戸数の8割が焼失した(酒田地震大火)。
死者:726人
負傷者:8,403人
全壊家屋:3,858戸(山形県内)
半壊家屋:2,397戸(山形県内)
焼失家屋:2,148戸(山形県内)
破損家屋:7,863戸(山形県内)

庄内平野全域において地盤の亀裂や陥没、噴水・噴砂が多く発生した。例えば、袖浦村黒森(現・酒田市黒森)の砂丘では幅1町(約110m)に渡り深さ30尺(約10m)も沈下し、袖浦村浜中(現・酒田市浜中)では高さ1丈(約3m)の小山が出現した。

この地震によって当時は木造建築が大半であった家屋の破損が相次ぎ、木造建築の耐震性を改めて問うきっかけになった。このことにより、濃尾地震(1891年10月28日)を契機に設置された震災予防調査会が木造建築改良仕様書を発表した。

再来周期 歴史資料が乏しいが、前回の発生は850年頃と考えられ再来周期は約1000年。



意見
熊本地震に最大級の支援をすべきである。
アベノミクス公共投資に「ケチクサイ」という間違いを犯している。思い切った財政出動をせよ。

ニュースを見ていると、支援物資は届いているのに、状況が把握できないため被災者まで届かないというじれったさを感ずる。情報の迅速な共有が望ましい。被災者が食料を持ち寄り、炊き出しを行っている自助努力も見られ心強い報道もあった。

※意見は取り敢えずここまで

漫画家 望月三起也氏 日本の女子サッカーの「父」

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                                                   望月三起也氏 NHKテレビ
漫画家 望月三起也氏 日本女子サッカーの「父」

漫画家望月三起也さんが亡くなった。
古くからの女子サッカーファンにはお馴染みの人である。私はJリーグが始まったころから、Jリーグのみならず、女子サッカーリーグ(L・リーグ)も高校選手権(男子)も女子高校全国大会(妻沼カップ)も観戦したことがあるから、漫画家というより女子サッカーの支援者として知っているし、感謝している。

これについてサッカージャーナリスト大住良之氏が書いている。要約すると、
いまや「なでしこジャパン」と呼ばれてメジャーな存在になった日本女子代表。そのスタート1981年は、男子サッカーもメキシコ五輪の輝きの後のどん底時代だった。すなわちサッカー界に女子サッカーを支援する余裕など皆無だった。

そこで女子サッカー連盟は三菱グループに助力を頼んだ。日本サッカーリーグの強豪・三菱重工は本社内に女子サッカー部をもつなど、女子サッカーに理解が深かったからだ。 全日本女子サッカー選手権の第1回大会は全試合が東京・巣鴨にある三菱養和会のグラウンドで行われた。

また日本女子代表中国遠征のときにパンツに「三菱」のマークをつけていたことさえある。協会からは援助が出ない。女子連盟のサイフもからっぽ。遠征費の半分は選手に負担させるが、残りの半分は三菱グループに泣きついた。三菱グループは了解したが、社内的に「大義」を通すためにマークを入れさせたのだ。

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                                              代表作「ワイルド7」  NHKテレビ

では、その三菱グループを女子サッカーに引き込んだのは誰かというと、真画家の望月三起也さんだったのだ。 『少年キング』誌で1969年から始まった「ワイルド7」という漫画の大ヒットで、70年代の前半にはすでに「大家」のひとりになっていた望月さん。三菱サッカー部の選手との親交をきっかけに大のサッカーファンとなり、横浜で自ら「ワイルド11」というチームをつくり、センターフォワードとしてプレー、盛んに活動していた。

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 望月三起也氏による第1,2,3回日本女子サッカーリーグパンフレット(公式プログラム)の表紙 

そこにやってきたのが、サッカー好きの女性たちだった。
「先生、私たちもサッカーをしてみたい!」 その声に押され、望月さんは「ワイルド11レディース」というチームを立ち上げる。そしてその熱心さに感動し、三菱にも女子サッカーチームをつくるよう働きかける。三菱が女子サッカーに理解を示すようになるのは、それがきっかけだった。すなわち、望月氏と三菱の人脈の親しさが、前記のような経緯をたどる機動力になったのだ。

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  望月三起也氏による第4,5回女子サッカーリーグ 6回 L・リーグパンフレット(公式プログラム)の表紙

望月さん自身も協力を惜しまなかった。全日本女子選手権のプログラムの表紙は、90年代になるまで望月さんの漫画で飾られていた。もちろんボランティアである。というわけで、私は望月三起也さんを「日本の女子サッカーの父」のひとりと認定し、女子サッカーに関心をもつ人びとに広く知っておいてほしいと願うばかりだ。(大住良之氏コラム要約)

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第10回 L・リーグ(1998年 日本女子サッカーリーグ)公式プログラムに望月さんが書いたイラスト&エッセイ

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  望月三起也氏による第7,8回 L・リーグパンフレット(公式プログラム)表紙と9回 ポスター

日本女子サッカーリーグは1989年に始まった。Jリーグ発足の翌1994年にL・リーグと命名、2004年にはなでしこリーグと命名された。

皇居観桜

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                                                         皇居内の一本桜
皇居観桜 4月1日

花見に東京へ
4月1日(金)、東京へ花見に行ってきた。
計画は 「皇居通り抜け」は昨日で終わったから、東京駅から「東御苑」を通り、「北の丸公園」から靖国、千鳥ヶ淵へ。皇居外堀沿いに東京駅、そこから山手線で上野公園へ。という都内鉄板コース。

しかし、東御苑への途中で交通整理している警護官と話しをしたら、昨日で終わった「皇居通り抜け」が3日間延長になり、今日は比較的空いているという。北の丸、靖国、千鳥ヶ淵方面へも坂下門~乾門経由の方が近いし、迷いなく方向転換した。

この日、家に帰り着いたとき、歩数計は25518歩を示していた。

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 道灌濠(どうかんぼり)の傍の「山吹の花」  七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき
 
 太田道灌のこの句を初めて知ったのは、学校の授業でも読書でもなかった。
 何かの折に親父に教えられたことを覚えている。何歳頃か、どんなシチュエーションかは憶えていない。



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 乾門(いぬいもん)出口

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 北の丸公園 科学技術館前のミツマタの花

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 北の丸公園から千鳥ヶ淵を望む  このときは、まだボート貸出中

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 靖国神社  パール判事(インド)の記念碑

碑文
時が熱狂と偏見とを
やわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを
要求するであろう


 
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 千鳥ヶ淵の貸しボート 風速7メートルを越え貸出し停止、係留

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  千鳥ヶ淵墓苑  白菊を供えました
 
  私が知る限り、親父、叔父さん、海軍で地元相撲の大関だった佐藤Jさんなど、幸せなことに親戚に戦死者はいない。佐藤Jさんは胆の座った人で、壁を背に寄りかかってどこでも眠れたという。職業軍人だった叔父は、前線で指揮下の怖がりの部下の位置を確かめたら良い位置に伏せていると思ったが、流れ玉にあたってしまったという。人の運命は判らない。叔父は白寿を迎えた。


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 半蔵門付近の「菜の花」と「大根の花」

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 上野公園の花見風景 花見を楽しむ東南アジアの人達  
 韓国語、中国語も入り乱れる。ここでは約6割が海外観光客だという。

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 辻 幸弥 (つじこうや)

Author: 辻 幸弥 (つじこうや)
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