温暖化

icecoregraph[1]
 図1 南極 「ドームふじ氷床コア」のデータ  極地研究所

温暖化

図1は、南極「ドームふじ氷床コア」より得られたCO2濃度(ppmv)、メタン濃度(ppbv)、気温(℃)の年代変化を示す。
35万年前から現在までを示し、その間に4つの間氷期(温暖な時代)と3つの氷期(寒冷な時代)が存在する。その周期は10万〜12万年である。現在は温暖な間氷期の時代である。

iceflow[1]
 図2 氷床コアサンプルは「ドームふじ」からボーリングにより得られた

氷床コアは、図2の氷床氷河として流れない安定した場所「ドームふじ」から採取された。
すなわち「ドームふじ」は、CO2濃度(ppmv)、メタン濃度(ppbv)、気温(℃)の年代変化を調査する氷床コアを採取するのに適した場所である


<考察>
図1のデータは、地球の温暖化、寒冷化とともに、CO2,、メタン濃度ともに増減している。
氷期〜間氷期の温度変動の原因は、太陽の活動、太陽に対する地球の軌道や地軸の歳差運動などが原因といわれているから、CO2,、メタン濃度の増減は、最後の間氷期を除けば、地球の温暖化〜寒冷化に追随した現象であると推定される。

大気のCO2濃度は、大気の温度が上がり海水温が上昇すると上がり、大気温度が下がると濃度が下がる。

メタンガスは、大気温が下がると海水温が下がり海水への吸収率が増加し、海底に拡散し温度が低下し圧力が高くなることにより水とメタンの包摂化合物「メタンハイドレート」として海底に沈積する。逆に気温が上がると海水温度の上昇とともに「メタンハイドレート」が分解しメタンガスとして大気中に放出され、大気のメタンガス濃度が高くなる。なお、メタンガスはCO2の約20倍の温暖化(温室)効果がある。

間氷期には、(現在の最後の間氷期を除くと、)
CO2、CH4とも増加し温暖化に寄与している状態から、それに逆らい地球は寒冷化した。CO2、CH4濃度以上に強い寒冷化の要因が作用したことになる。さらに、寒冷化した氷期は間氷期より遥かに長期間継続する。

現間氷期の人間の活動を加えた温暖化ガス(CO2,CH4)の寄与と寒冷化要因の寄与を直接観測または計算により比較できれば良いと思うのだが。
武田邦彦氏のように避けられない寒冷化の前には、温暖化ガスの影響はプラスだと主張する論者もいるし、ごく最近は地球は寒冷化に向かっているとの議論も多くなったようだ。氷期は必ず来るといわれている。



<問題点>
最近、温暖化の議論に関連し、海水面上昇、台風の強大化、竜巻の頻発などの気候変動を全て人間活動によるCO2の増加に起因するという議論が激しくなっているように感ずる。氷期〜間氷期の周期変動は、極地の氷床が減少小さくなり、海水面変動が130mに及ぶような大変動であることも事実である。そしてこれらは人類が経験してきたような短い周期で起こったこともまた事実である。
氷期〜間氷期の変動が如何なるものか? それらの大局的知識はもっと普及されるべきであろう。

COP21で議論されていることを否定はしない。しかし、人類の影響がなくても地球は大変動するものなのだ。
産業革命以後のCO2量の増加は、地球の周期変動としてのCO2の増加に、人間の活動によるCO2の増加が重なったものである。



<付録>
CO2、CH4、(H2O)を構成する軽元素である水素、炭素、酸素はビッグバンとその直後の宇宙活動で生成した宇宙に賦存する元素である。太陽系、惑星それぞれにも配分され、地球には、個体、液体、気体として賦存している。

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天武天皇から神武天皇へ遡る

Emperor_Tenmu[1]  天武天皇

天武天皇から神武天皇へ遡る  

卑弥呼と古代天皇(2015年12月1日)と題し
神武天皇より前の時代の卑弥呼より神武天皇の即位年を推定した。
それによると、神武天皇の即位は西暦288〜289年、現在(2015年)から1726〜1727年前であった。

逆に日本書紀、古事記の編纂事業を始めた天武天皇の時代から遡る計算をすると
天武天皇:第40代天皇、在位は673年3月20日から686年10月1日。
天武天皇が即位した、673年より10.2×38=388年前に神武天皇即位 → 673-388=西暦285年
(数ヶ月在位とされる弘文天皇を計算せず39代として計算。係数10.2年は「古代天皇と卑弥呼」(2015年11月25日)参照

卑弥呼より計算:西暦288〜289年、天武天皇より計算:西暦285年、二つは非常に良い一致を示すから神武天皇の就位期間を3世紀後半から4世紀初めとするのは妥当と認められる。


<付録>
今年(西暦2016年)は神武天皇二千六百年式年祭、すなわち初代の神武天皇がなくなられたと伝えられる年から2600年目にあたるという。
紀元二千六百年は昭和15年(西暦1940年)であるが、神武天皇が即位されてから2600年ということ。神武天皇は76年間在位したことになる。因みに前にも述べたが神武天皇は137歳まで生きたと伝えられる。

歴史学者「坂本太郎」(東大教授)は、古代天皇の年齢が不自然なのは、作りごとをせず、架空の天皇を増やさなかったためだと言っている。この発言は神武天皇治世の時代を3世記末から4世紀初めとする本説を支持する。

神武紀元は、本稿で述べた神武即位年より940〜950年遡る。


日本現代史の大局的一視点 追補

c4c9302e7275be7e80f915052f46b4a29c8be923[1]  日露戦争
  欧米の代理戦争の一面があった。 多額の外債が可能だったのはその証左?


日本現代史の大局的一視点 追補
 前項を前提に追補する。

明治以来、日本は一貫して大陸(清国、ロシア、ソ連)からの脅威、共産主義化、社会主義化を脅威としてきた。しかし、肝心なときに、その初心・基本戦略を忘れる愚を犯してきたのではないか?


日清戦争:
外務大臣陸奥宗光 「元来日本国の宣言するところにては、今回の戦争はその意全く 朝鮮をして独立国たらしめんにあり」。 日本は朝鮮の独立を清に認めさせ、清から領土(遼東半島・台湾・澎湖列島)と多額の賠償金などを得ることになった。三国(ロシア・フランス・ドイツ)干渉で遼東半島返還を受け入れるも、賠償金で軍備を拡張した。


三国干渉があったとはいえ、国家の出発点として調子に乗り過ぎる要因として作用したのではないだろうか?


日露戦争:対アメリカ
桂・ハリマン協定;アメリカはポーツマス条約の仲介により、満洲に進出することを企て、ロシアから日本が譲渡された東清鉄道支線を日米合弁で経営する予定を桂内閣と成立させた(1905年10月12日)。アメリカの鉄道王ハリマンを参画させるというものであった。この協定はポーツマスから帰った小村外相の反対により破棄された。

① 日本へ外債や講和で協力したアメリカ はその後も中国進出を意図したが、日英露三国により中国権益から締め出されてしまった。歴史的に俯瞰すれば、ロシアの南下政策を恐れていた初心を貫くには、アメリカ・ハリマンを参画させることが最良の戦略であった。それにより、その後の満州事変も、日中戦争も、ひいては、太平洋戦争もなかったであろう。

桂太郎首相や元老の方が小村寿太郎外相より戦略眼があったということになる。
すなわち、東大出の官僚より、明治維新をくぐり抜けた元老の方が広い視野を持っていた。



満州事変
② リットン調査団 のリットン報告書は日本に不利な面ばかりでなく日本の立場も考慮されていたものであった。これを受け入れ、国際連盟脱退はさけるべきであった。
満州国建国 後、日中戦争に突入したのは戦略上の大きな間違いであった。


<コメント>
①②③は戦略的分岐点であったが、全ての選択を間違えた。

①を選択すればアメリカとの太平洋戦争はなかったであろう。
  満州事変もなかっただろうから最も重要な選択肢である。
②で日本は国際的に孤立した。
③を選択しなければ、第二次世界大戦の泥沼に入ることを避けられた可能性がある。
  石原莞爾はやはり戦略的天才であった。

現在、大陸共産主義からの脅威はこれまで以上に大きくなっている。
①②③の分岐点全てで誤った選択をしたからである。



日本現代史の大局的一視点

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日本現代史の大局的一視点

明治維新:1868年(明治元年)

日清戦争:1894年7月〜1895年3月(明治27年〜28年);主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争。清国戦艦「定遠」が、1886年(明治19年)に示威を兼ねて訪日した。その強大さと船員の乱行(長崎事件)から日本社会にとって大きな脅威として受け止められた。

日露戦争:1904年2月8日〜1905年9月5日(明治37年〜明治38年);大日本帝国とロシア帝国との間で、朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と日本海を主戦場とした。1905年9月5日にアメリカ合衆国の仲介で締結されたポーツマス条約により講和。


第一次世界大戦1914年〜1918年(大正3年〜7年);人類史上最初の世界大戦。日本は日英同盟に基づき連合国陣営に加わり参戦。青島・南洋諸島の独領に参戦。ヨーロッパ戦線への陸軍派遣要請は拒否。など。

ロシア革命1917年;第一次世界大戦中のロシアで起きた革命。ロマノフ王朝による帝政が崩壊し(二月革命)、史上初の社会主義国家が樹立された(十月革命)。


満洲事変1931年9月18日(昭和6年)〜;ロシア革命政権は、三国干渉により日本が返した旅順、大連などの地域を租借し、南下政策で満州地域を支配していく。危機を感じた関東軍参謀石原莞爾等が起こした事変。柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した事に端を発し、満州全土を占領した。日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。

ABCD包囲網1930年代後半:日本に対して行った貿易の制限。「ABCD」とは、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、中華民国(China)の頭文字を並べたもの。アジア諸国は欧米諸国の植民地であったから、石油などの資源が独占され、輸入できない状況にあった。

日中戦争1937年〜1945年(昭和12年〜昭和20年):大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争。

第2次世界大戦:1939年〜1945年;ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ、および中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻とソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、
太平洋戦争1941年12月8日〜の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争とな
った。

朝鮮戦争1950年6月25日〜1953年7月27日;朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が38度線を越えて侵攻したことにより勃発した。西側自由主義陣営諸国と中華人民共和国が参戦した。中朝連合軍と国連軍は休戦協定に署名し現在休戦状態で終戦に至っていない。


<コメント>
明治以来、日本は一貫してロシア(ソヴィエト連邦)、共産主義化、社会主義化を脅威としてきた。

この視点から外れていることが二つある。
日中戦争:前に「盧溝橋事件」について書いた(2015.7.27)が、毛沢東中国共産党勢力あるいはコミンテルンの情報戦の誘いに乗せられ中国国民党軍と戦った。石原莞爾は終始反対したが、武藤章などの軍部が巧妙心にはやり乗せられてしまった。今、歴史の視点に立てば、石原莞爾は戦略の天才で、中国を共産化させた武藤章等は凡才・芋であることが良く分かる。(米ルーズベルト大統領も芋である。アメリカも中国の共産化に手を貸した。)

太平洋戦争:アメリカの行政機関にロシア共産党のスパイが潜入し、ルーズベルト大統領以下がその影響を受け(容共的と批判されている)、日本を敵にした。マッカーサーが朝鮮戦争を戦ったとき、何故日本が満州、朝鮮半島にこだわったかを体験的に理解した。すなわち、日本は自衛戦争を戦ったことに気がついた。

③アメリカと日本のとるべき戦略は共通で、満州、朝鮮半島、日本列島を共産主義からの防共壁にすることであった。



日本国内には共産主義・マルクス主義への憧憬を持つ勢力が多い。第二次世界大戦敗戦後も「進歩的文化人」や朝日新聞などマスコミ・メディアの勢力は親マルクス主義の方が強いとさえ思われる。共産党はもちろんであるが、社会党、民主党のみならず自民党の国会議員にさえ(隠れ)マルクス主義者がいる。共産主義者でなければ右翼という間違った基準が日本にはあるような気さえする。

私は断固として共産主義者・マルキストではない。中道だと思っているが日本の一般的基準には中道があるのかなぁ〜?


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 辻 幸弥 (つじこうや)

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