盧溝橋事件に関する中国共産党幹部の発言

img_1[1] 東篠英機と石原莞爾 犬猿の仲? 

盧溝橋事件
に関する中国共産党幹部の発言

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)は、1937年(昭和12年)7月7日、北京西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民党軍(第二十九軍)との衝突事件である。中国では七七事変と呼ばれる。
この事件は日中戦争(支那事変)の直接の導火線となった。
これに関し、中国共産党の幹部は以下のように語っている。

周恩来
1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言したと伝えられている。


劉少奇
周恩来の発言の裏付け:「中国人民解放軍総政治部発行/戦士政治読本」に以下の記述がある。
「七・七事変(盧溝橋事件)は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が、決死的行動を以て党中央の指令を実行したものである。これによって、わが党を滅亡させようとして第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果滅亡したのは中国共産党ではなく、蒋介石南京政府と日本帝国主義であった。」


毛沢東主席
毛沢東も、「日本の皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だった」と発言していた。
このように、40年くらい前まで、支那共産党の連中は、「盧溝橋事件とそれに続く日支全面戦争は、自分たちが起こした」と堂々と公言していたのだ。

日本社会党佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光らを接見した際の談話 (1964年(昭和39年)7月10日)
佐々木――今日、毛主席の非常に寛大なお気持ちのお話しをうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われはれはみな、非常に申し訳なく思っております。
主席――何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね。

(皆が笑い、会場がにぎやかになる)。
佐々木――ありがとうございます。
主席――過去のああいうことは話さないようにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った1部の将軍をも含めて、彼らは今では、われわれの友人に変わっています。

東京大学近代中国史研究会訳『毛沢東思想万歳』、下巻

鄧小平
日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、鄧小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」と切り出した。あっけにとられた一行を前にした鄧小平の説明はこうだった。

「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」

日中戦争のおかげで全滅を免れた中国共産党-鄧小平語録 1998年06月06日(土) 伴 正一



石原莞爾少将の方針
49歳、参謀本部第一部長。盧溝橋事件は不拡大、事件を大きくしないという方針を打ち出した。
すなわち、日本は満州国の経営に専念し、ソ連の脅威に対抗する力をつけるべきだとした。


杉山元陸軍大臣、武藤章参謀本部作戦課長、など
強硬意見を持つ人々が、中国へ増援部隊を派兵すべきだという意見を強く打ち出した。



<コメント>
陸軍の馬鹿どもが、情勢を見誤り、中国共産党の術中にはまり、アジアを共産化するお手伝いをする羽目になった。石原莞爾は大局を見ていたのだが。悔やまれる。

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国立競技場の計画が白紙に

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 懐かしい国立霞ヶ丘競技場  この上に屋を重ねて建設したら「レジェンド」「レガシイ」極まれり!!! 

国立競技場の計画が白紙に

最近の国立競技場建設のニュースには気が重かった。
いっそ、オリンピックなんてやめちゃえ、という気分にもなった。
テレビで森喜朗五輪組織委会長、下村文科相、舛添要一都知事などの湿気(シケ)た貧乏くさい顔を見るたび憂鬱であった。

競技場建設の計画が白紙になったのは大歓迎である。
第一、 キール・アーチなんて全然欲しくないもんね。


しかし、収容人数はケチるな。8万人以上は絶対確保。87,000人?、98,700人?、いっそ111,111人。
縁起担いで良い数字の並びにもこだわって欲しい。
横浜国際;72,327人、埼玉スタジアム2002;63、700人 、東京(味の素)スタジアム;49,970人。立派な大関、関脇、小結はそろっているのだから、無駄を省いて立派な豪華な横綱をつくれ。キールアーチはいらない。


芸能、音楽など多用途スタジアムとしても工夫が欲しい。屋根を架けよ。芝の養生にも妥協するな。

舛添都知事は、正論を吐いているが、政治家というより政治学者だね。カリスマ性は所詮期待してないが。
しかし、東京都には日本のあらゆるものが集中しているから、税収も多いと知るべき。個人としての都民に関係ない税収も多い。東京のオリンピックなのだ。己がリードして都税を使うべし。

民主党代表岡田克也と久米宏などは、「安保法案」で低落した支持率の回復策、人気回復策と言っていた。
当然私の脳裏もかすめた陳腐な見方だ。この段階まで来て、思い直した公共事業の例はなかったから評価している。



建築家とは何だろう?
建築物が完成して建築物である。デザインの選択は課程に過ぎない。
ものをつくるとき目の子算で直感的に予算を概算できるのが専門家に必要な能力である。
安藤忠雄にはキールアーチの目の子算(予算の概算)ができなかったようだ。委員会にはキールアーチはつくれるんだろうかと疑っていた参加者もいたようだから予算以前の問題かも知れない。
建築家というものになお一層不信感が募った。



「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録

sekai2602[1]  橋野鉄鉱山・高炉跡

「明治日本の産業革命遺産」登録

韓国の動き
を見るにつけ、韓国に「信義」という言葉を期待するほど愚かなことはない、とつくづく思う。
「明治日本の産業革命遺産」の登録は、安倍外交の敗北である。

2月;韓国はユネスコ世界遺産センター、専門家組織ICOMOSに反対の公文書を送付。
世界遺産リストに記載されるなら、世界遺産条約とそのシステムが破綻していると主張。

5月;朴大統領自ら訪韓したユネスコ事務局長に登録反対の意志を伝えた。

6月;世界遺産委員会副議長国セネガルの大統領と会談。日本への支持を表明していたセネガルが経済協力の餌につられ一転反対に回った。


議長国ドイツを味方につけた。独有力紙「歴史を絨毯に隠したまま自国の歴史の近代化を語ろうとしている」
 
委員会開催時;韓国市民団体が会場前で反対のビラを配り、市内のホテルで写真展を開催。アウシュビッツの写真と同時に展示(飛ん でもないことだ!!!)。
「意に反して厳しい環境のもとで働かされた(forced to work)」 とした
日韓外務大臣合意に反し、会場で強制労働(forced labor)を主張し、会議が紛糾し延び延びになった。

戦時徴用とは
戦時日本人は「戦時徴用」され、労働の任務に就いた。朝鮮半島も日本に併合されていたから、朝鮮半島から日本人として徴用された。これは世界各国でなされ、日本だけのことではないし、国際的に認められていることだ。外務省よ、しっかりしろ。


<私見>
長州の「松下村塾」と「萩の反射炉」におや!と思った。

「松下村塾」が産業革命遺産? リードした人材を輩出した、という理屈だろうが他とは一寸違う感じがする。松下村塾が入るとすると同種のものが他にもあるだろうに。唯一無二と言いたいんだろうけど、私は「松下村塾」をある意味「短気の集まり」と見ている。松下村塾には色々な遺伝因子があった?

「萩の反射炉」佐賀藩に教えを乞い、断わられながらもようやく佐賀藩の炉をスケッチして縮小版をつくったもの。稼働生産した実績もないし、それを基礎に技術が発展したという話も知らない。遺産として残っているが模型のようなものだ。


遺産として残っていないが、水戸の反射炉は、橋野鉄鉱山・連続出銑高炉に発展、後の釜石製鉄の基礎になり、八幡製鉄にもつながった。

安倍外交を信じていたが、長州を意識し過ぎた安倍首相の失敗ではないのか? という疑念が湧いている。庄内藩出身の私には靖国参拝も同様に見える。


韓国の最終決着 とは?

DSC04519.jpg  
日韓国交正常化  6月27日のNHKニュースウオッチ9 の映像

1965年(昭和40年)6月22日 日韓国交正常化
日本は個人に対する補償も行うと提案。 韓国は、国が一括して受け取り、国から個人補償するとした。
全ての補償は終了したことになる。 すなわち、最終決着は終わった
これが条約というものなのだが・・・・・・・・・・。

韓国の最終決着  は違うらしい?

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6月27日のニュースウオッチ9  全てこのとき放映された映像を用いた。

DSC04533.jpg

1993年、日韓の交渉直前の朝日新聞の従軍慰安婦報道により、
宮沢首相は真偽も確かめず慌てふためいて8回も謝罪し、河野談話を発表する羽目になった。
その経緯も、韓国の言うがままの文言を入れるなどの、およそ外交とは言えない粗雑さ。
まことに肝が据わっていない内閣であった。

歴史の真実(ファクト)を曲げた妥協が「従軍慰安婦問題」を引き起こす発端になる。


DSC04534.jpg

戦後20年、1965年の国交正常化のとき、影も形もなかった「従軍慰安婦」が、
28年後の1993年、何故突如として問題になったのか。「従軍慰安婦」という言葉自体が捏造なのだが。

DSC04536.jpg

歴史の真実でなくファンタジイーに対し、アジア女性基金は精一杯の妥協と知るべきである。
韓国外相よ! あなたのこの言葉自体がファンタジイーと自覚すべきだ。

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「慰安婦像」を米韓に建立し、国連も舞台にしたプロパガンダが凄い。
歴史は事実(ファクト)である筈だが、
韓国の歴史はファンタジイー(幻想)+プロパガンダ(宣伝)である。

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おいおい!! 1993年の河野談話のときも、今回謝ってもらえば最終決着と言ってるんだよ。
何回最終決着があるんだよ?
サッカーでゴールしたとき、実はゴールはそこではなくここだと移動してたら試合にならないんだよ。

DSC04540.jpg

慰安婦問題というものはもともとないんです。あなたの言葉、信用できないですよ。
最終決着というものは一回しかないですよ。 何回も主張するのは、韓国以外では、恥ずかしい行為なのだが。

<コメント>
日本は、いつも外交交渉の門戸は開けているが、嘘には付き合わない。
交渉の席に無理に付き合ういわれは何もないし・・・・・・。 困らないし・・・・。

韓国の 最終決着 という言葉も聞き飽きた。
国際的に、相手にする価値もない国と言われだしてるぞ。 
だから、慌てて外相が日本にやって来た。という筋書きは見え見え。



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