南三陸町さんさん商店街とモアイ像

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                                              商店街入り口  2014年5月28日朝
南三陸町さんさん商店街  モアイ像  イーハトーブ紀行

宮城県南三陸町の「さんさん商店街」を訪れたのは5月28日の朝であった。
町の復興へ向けた意気込みを感じた。しかし、ここから海岸方面へ行くと津波で打ちあげられた残骸は整理されているものの、平地の津波被災地は住宅地にせず、産業地域にするとのことであるが、残念ながらまだ復興への道筋は見えない状況のように感じた。

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                                                              商店街内部
最近、天皇皇后両陛下のご訪問をテレビで見た。商店街のこの付近が写っていると思われた。
私は、何種類かの海苔などを買った。朝なのでまだ閉じている店が多かった。


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   チリ共和国イースター島でイースター島の自然石を用いて作られた正真正銘本物の「モアイ像」
                                                        2014年5月28日朝

1991年にチリ地震津波で南三陸町は41人の死者を出した。その復興と友好の証として、チリから南三陸町へモアイ像が贈呈された。 そして、2011年3月11日、東日本大震災の大津波によりモアイ像が流出した。 しかし国境を越えた絆は絶えず、2013年5月25日、チリのイースター島から新しいモアイ像がやってきた。
南三陸町には、イースター島から世界で初めて贈呈された本物のモアイ像を始め、全7か所にモアイスポットがある。


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                                              町立総合病院(仮設)玄関のモアイ像

チェインソーで木彫したモアイ像があちこちに置いてあった。ボランティアが作ったと聞いた。

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                                南三陸ポータルセンターモアイハウス(木彫場)のモアイ像

モアイ!  復興のシンボルとして南三陸に増殖中!!   
順調な復興を祈る!!!    


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日本の保守の原点を考える

6e779f00319d385490f64df4054cb911[1] 庄内藩兵 手に持つは「スナイドル銃」 
                                          肩章は奥羽越列藩同盟が用いた日章旗


日本の保守の原点を考える   明治元年とは

日本の保守政治の原点はどこにあるのだろうか。
明治維新」にあるとする考えは妥当であろう。もう少し掘り下げていえば、明治維新の「勝者達」にあるといっても差し支えないであろう。

イデオロギーによる政治は20世紀で亡んだといっても差し支えないだろう。人類は20世紀をかけて膨大な犠牲を払いながら、共産主義、マルクス主義の壮大な実験を行い、「ソビエト連邦」は解体され、東西ドイツのベルリンの壁も崩壊した。中国は共産党の独裁政権であるが、それは「独裁」という政治体制の便宜的な姿に過ぎない。

ユーラシア大陸の東に「日本」が、西に「英国」がある。この両国は、大陸の影響下にあったが、地理的にはほどほど隔絶された距離にある。当然この両国の歴史は異なるが、大陸の文化を直接ではなく、ほどよく「醸成」「発酵」させながら比較的穏やかに独自に発展させて来たことは共通している。この「発酵・醸成」の作用は重要で、日英は高度な文明・文化を築き上げた。
共通する政治体制は「保守」と呼ばれるものである。すなわち、日本と英国両国に似合う政治体制は「保守」である。


保守とは何であろうか。私は「保守」とは「フィードバック」であると思う。絶えず「現状」を分析することにより望ましい方向にコントロールする。コントロールは微修正で、革命的な大きな変革、変動を伴わない。


明治維新に戻る。「明治維新」では一流の人物は死に絶え、二流が生き残った、と言われる。高校の「歴史」の先生にも聞いた憶えがある。もっとも、私が卒業した高校は、明治維新のとき徳川」家より「幕府」よりといわれた庄内藩の「鶴ヶ岡城」三の丸跡にあり、卒業当時の同窓会長は旧藩主直系の「酒井家当主」であった。薩長など藩閥といわれた藩の伝統を受け継ぐ高校でもこのようなことが言われていたのかどうかは知らない。

明治維新のとき一流といわれていた人物が残っていたら日本はどうなっていたのだろうか。「安政の大獄」では吉田松陰など多数の人材を失った。坂本龍馬など暗殺された人材も多い。高杉晋作は病死した。歴史の「if」を語るつもりはない。「保守」政治の原点として、これらの人材が作った理想的な明治政府を仮想し、「保守」のフィードバックの原点とするのは面白いし、日本の国のためにもなると思われる。おそらく、戊辰戦争はなかっただろうから、「靖国」はなかっただろし・・・。

この視点から、カテゴリ「明治元年」を充実させていきたい。

原発再稼働に対する私見

49502d4687fec7ee02ed228ea7000b4f[1]  再稼働申請中の10原発17機

原発再稼働に対する私見

私は原発再稼働賛成である。
原子力発電の発電単価」は安くはないが、既設の設備を運転する限りにおいては安いであろう。
「新規制規準対策」に関する新たな投資は必要であるが、再稼働しなくても設備廃棄費用は必要である。
原発事故は「安全神話」が招いたものであり、厳罰に処せられるべき個人と団体が存在する「人災」である。
また、大規模発電で温暖化に最も影響が小さいのは原子力発電である。

夏までには原発再稼働が実現しそうだという見通しがあったが、今はその夏真っ盛りで、川内原発1,2号機のみが「審査書案の了承」 まで終了した段階にとどまっている。
秋には再稼働しそうであるという。川内原発の地域住民および地域の首長は、比較的再稼働を歓迎する意見が優位なように思われるから、期待通りに再稼働するであろう。
川内原発が再稼働すれば、一つの範例ができるわけだから、順調に再稼働が進むであろう。ただし、例外的にもめる場合があるだろう。特に東電の事業所では。


原発再稼働には、私なりの制限条件がある。
まず、1原発2機の稼働にとどめること。稼働している原発が多いと同一敷地内の事故の確率が増える。1機でも事故が起これば、その対策に集中しなければならない。次段階として、1原発1機の稼働が理想である。今、再稼働申請中の原発では、泊原発(北海道電力、北海道)だけが1,2,3号機3機であり、その他は2機以下である。


柏崎・刈羽原子力発電所(新潟県)は、原発7機がある世界最大の原発である。私見としては、今申請中の6,7号機で一つの事業所にする。次の再稼働申請をするとすれば、別の事業所として分離し、それぞれを別の事業所長の責任管理下に置く。同一敷地で近接するのであるから、それなりの厳しい再稼働条件が必要であろう。


高速増殖炉もんじゅ(敦賀市、敦賀半島)を廃棄すること。日本原子力研究開発機構に所属する。
数々の失敗を重ね、成功の見通しがなく、存在が危険なだけである。金を食う以外にやる気も感じられない。継続は単に関係する官僚のプライドと権益維持と予算配分だけではないのか。
もしものことがあれば、琵琶湖を汚す。嘉田前滋賀県知事の「卒原発」は言い得て妙である。「もんじゅ」には今すぐ卒業してもらい、解体しましょう。国防上もアキレス腱になるだけである。



その他のエネルギー源、発電方式
風力発電、ソーラー発電はエネルギー密度が非常に低く、将来もエネルギー密度を高めて経済性を実現することができない割高な発電方法である。バイオマス発電、地熱発電も規模は大きくない。
石炭火力発電は、最も経済性に優れているが、温暖化ガスである炭酸ガスの排出量が多い。
期待できるのは、メタンハイドレートである。早期実用化を期待する。これが実用化されれば、原発の負荷を大きく減らせる。


※「カテゴリ」に「原発再稼働」を新設しました。クリックすると「原発再稼働」がまとまって表示されます。乞活用。

原発再稼働  川内原発

20140716dd0phj000136000p_size5[1]  川内原発の地理的位置

原発再稼働  川内原発再稼働へ
 
再稼働審査申請中の10原子力発電所17基のうち、7月16日、原子力規制委員会が、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)の「審査書案」(下表3の過程)を了承したことで、川内原発は、福島第一原発事故発生後はじめての、再稼働へ向け動き出すことになった。


原発再稼働までの流れ

1 新規制基準に基づく安全審査を申請

2 規準地振動、基準津波などクリア

3 審査書案の了承 (ここまで終了)

4 意見公募(30日)

5 審査書を確定
↓                         ↓
6 工事計画、保安規定を審査       6 地元説明会
↓                         ↓
7 使用前検査                7 地元が運転再開に同意
↓                         ↓
8 再稼働



審査概要
規制委は川内原発の対策が新規制基準に適合するかの審査会合を62回開き、110時間審議した。この中で最も重視されたのが、地震や津波に対し有効な対策が取られているかどうかだった。

 
基準地震動
九州電力は、当初、基準地震動の大きさを東日本大震災前と同じ540ガルで申請したが、存在が明らかになっていない活断層による地震の揺れを考慮した見直しを求められ、620ガルに引き上げた。そのうえで、原子炉建屋など重要な施設の配管が揺れに耐えられるよう補強工事を進めている。

 
最大規模の津波の想定
申請時に比べて2メートル高い6メートルに引き上げた。原子炉の冷却に必要な海水ポンプを海抜15メートルの防護壁で囲む対策を取った。


火山対策
川内原発は火山の噴火で最もリスクの高い原発と懸念されている。九電は、川内から約50キロ離れた桜島など、敷地から半径160キロにある39カ所の火山が噴火するかどうかの想定データを提示した。巨大噴火は1万年に1回程度と頻度は極度に低いが、火山が噴火すれば原発周囲に火山灰が積もり、火砕流で送電線や注水ポンプなどに影響が出る可能性が考慮された。


規制委は新基準とは別に火山影響を評価するガイドを作成、必要な地点に地殻変動の監視のため衛星利用測位システム(GPS)を置くように九電に要請した。審査書案では「設計対応不可能な火山事象が過去に敷地に到達したことが否定できない火山を監視対象として抽出し、その監視方法などを確認した」として、監視の重要性を指摘した。

テロ対策
テロ対策では、原子炉建屋に故意に航空機が突っ込んできても耐えられる構造を要求する。審査書案では、放水砲を用いた消火の手順や現場へのアクセスも確認し、「設備などが同時に機能喪失しないよう十分な配慮を行うなど、適切なものと判断した」。
サイバーテロも審査項目に入れた。「情報システムに対する外部からのアクセスを遮断する設計とする」という九電の申請を、審査書案では「核物質防護対策として確認した」とし、新基準への適合を強調した。


電源喪失対策
すべての電源を失うなどの重大事故が起きた場合に備えた対策については、審査の過程でさまざまな対策が不十分だと指摘を受け、冷却機能を維持する大容量のポンプ車の数を3台から4台に増やしたり、対策の拠点となる建物内にガス状の放射性物質が流れ込むのを防ぐための設備を増強したりした。

緊急時の対応力
原子力規制委員会は、「事故は起きない」という安全神話を反省し、新しい規制基準では重大事故対策を義務づけた。
原発の安全設備の大半が自動的に作動するのに対し、重大事故の対策では、作業員が電源車やポンプ車など移動式の機器を手動で動かして対処しなければならないため、人間の判断力や対応力が重要な鍵を握る。
細かい手順を記した数千ページ以上のマニュアルを整備し、習熟する訓練をしている。マニュアルにない想定外の事態が起きたときに臨機応変に対応できる力や、緊急時に重要な発電所長の判断力をどのように育成していくかが課題だと指摘されている。



川内原発の現況
 番号   原子炉形式   定格電気出力    燃料・装荷量         運転開始日         現況
1号機 加圧水型軽水炉(PWR) 89万kW 低濃縮二酸化ウラン・約72トン 1984年(昭和59年)7月4日  定期点検中
2号機 加圧水型軽水炉(PWR) 89万kW 低濃縮二酸化ウラン・約72トン 1985年(昭和60年)11月28日 定期点検中

最大の古代鳥

最大の古代鳥  ペラゴルニス・サンデルシ

飛行も可能だった 翼長は6.4メートル以上

白亜期末の6550万年前、地球に巨大隕石が衝突し、恐竜や翼竜など多くの生物が絶滅した(白亜紀大絶滅)。鳥類が恐竜の子孫で恐竜が進化したものであることは今では定説になっている。2500万年前、鳥類の進化の過程で、翼長6.4メートル以上の巨大鳥ペラゴルニス・サンデルシが古代の海の上空をグライダーのように舞っていた。

図示されるようにグライダーのようにアスペクト比(縦横比)が非常に大きな細長いスマートな翼で、この大きなアスペクト比によって翼に発生する誘導抵抗が小さくなり、大きな滑空比を実現していると想定される。すなわち、グライダーとしての飛行性能が非常に優れている。

同じ理由で現存の鳥類ではアホウドリ(アルバトロス、図参照)が最も飛行性能が優れている。だから、ゴルフではバーディー、イーグル(鷲)の上をアルバトロスといい、そこには尊敬の念が込められている。それに比べると日本語の<阿呆鳥>という命名はもってのほかというよりうほかに言いようがない。改名が提案されている。長谷川 博東邦大教授が、古名の、 「オキノタユウ=沖の太夫」、に改名しようと提案している。ゆったりとした品格ある良い名前です。大賛成です。



以下は、THE WALL STREET JOURNAL をコピペした記事である。

By ROBERT LEE HOTZ
原文(英語)
2014 年 7 月 8 日 10:36 JST STREET JOURNAL

NA-CB868_FLIGHT_NS_20140707150328[1]
史上最大の飛翔鳥ペラゴルニス・サンデルシの想像図  翼長は6.4メートル以上
                  翼長は、コンドルとアホウドリ(アルバトロス)を並べたより長い

科学者たちは、これまでで発見された中で最も大きくて飛行可能な鳥を特定した。翼長が21フィート(約6.4メートル)ないしそれ以上で、2500万年前に古代の海の上空をグライダーのように舞っていた公算が大きいという。しかし今日まで、それは、地上から飛び立てると考えていた専門家はほとんどいなかった鳥だった。従来の飛行モデルでは、この絶滅した海鳥は、現代のアホウドリの2倍の大きさで、体が余りに重すぎて、長くてぜい弱な翼では飛べないと考えられていた。
 
しかし米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された新しいコンピューター分析結果によれば、この巨大鳥はどうやら上昇気流に効率的に乗ることができたようで、1週間ないしそれ以上空中にとどまることも可能だったようだという。 

ロサンゼルス郡自然史博物館の飛行進化の専門家ルイス・チアップ氏は、「この巨大鳥は羽ばたいて飛ぶ鳥の理論的な重量よりはるかに重いが、翼をはばたかせ、飛び立つ能力があったと結論しなければならない」と述べた。同氏は、今回の研究に関与していない。

同氏は「飛行の多様性に関するわれわれの現代の見方はかなり狭い」と述べ、「この鳥は極めてユニークな鳥だ」と語った。実際、新しい飛行分析が正しいとすれば、この巨大鳥はオリンピックの短距離走選手の走行速度よりもはるかに速く飛行でき、毎秒50フィート(約15メートル)ものスピードで飛行していた可能性がある。

BN-DO742_0707fl_F_20140707152211[1]
ペラゴルニス・サンデルシの化石 Proceedings of the National Academy of Sciences
 
この巨大鳥の生体力学的な分析を行ったブルース博物館(コネティカット州グリニッジ)の鳥類古生物学者ダニエル・セプカ博士は「これはかなり印象的な生き物だった」と述べ、「科学は飛行に関するルールを作っているが、現実の生き物はその迂回路を見つけた」と語った。

この巨大鳥の骨の化石が発掘されたのは1983年で、サウスカロライナ州のチャールストン国際空港の新ターミナル建設のため建設労働者が敷地を掘り起こしていた時だった。それは当時チャールストン博物館の館長だったアルバート・サンダース氏にちなんで正式には「Pelagornis sandersi(ペラゴルニス・サンデルシ)」と命名された。同博物館には現在、この巨大鳥の化石の標本が保管されている。

この種類の巨大鳥の化石はこれまでこれしか発見されていないが、同類の化石は世界中で見つかっている。
この巨大鳥のくちばしには針状の歯が並んでいる。生存中は体重が48-88ポンド(21.8-39.9kg)で、翼骨は厚さ1ミリほどしかなく、翼長は少なくとも20フィートに達していた。翼は余りにぜい弱で、これを最初に研究した専門家たちは、陸上から飛び立つのに通常必要な揚力を生み出せるか疑問視していた。

 
この巨大鳥の飛行特性を調べるにあたり、セプカ博士は飛行筋肉エネルギー、羽ばたくスタイル、ボディ-マス(体格)など各種の推定値をテストするため、24に上る異なるコンピューターシミュレーションを実施した。その結果、同博士は、この巨大鳥は驚くほどうまく設計されたグライダーのようなもので、少なくとも現在の飛行可能な最大の鳥であるアホウドリと同じように舞い上がることができ、現代のコンドル以上に効率的に飛行できたと結論した。

シミュレーションでは、このように大型の生き物がどのようにして無事に着陸できるかは明らかにしていない。同博士は「着陸する時には、この巨大鳥にとって少々危険だっただろう。骨が極めて細かったからだ」と語った。


赤松小三郎

th[9] 赤松小三郎(あかまつこさぶろう)記念館


赤松小三郎 あかまつこさぶろう 
天保2年4月4日(1831年5月15日)  - 慶応3年9月3日(1867年9月30日)
信州上田藩出身 名前が知られていないのは権力(薩摩藩、明治政府)により存在を抹殺されたためという。

慶応3年5月、「建白七策」を福井藩松平春嶽と薩摩藩島津久光に提言した。
その一カ月後の慶応3年6月坂本龍馬「船中八策」を起草した。「船中八策」は「建白七策」を下敷きにしてスローガン的に八項目にまとめたものといわれる。


赤松小三郎は慶応3年9月3日、薩摩藩中村半次郎(桐野利秋)等により暗殺された。
坂本龍馬はその約2カ月後の慶応3年11月15日に暗殺された。暗殺犯には諸説があるが、薩摩藩の大久保、西郷黒幕説がある。


薩摩の「武力討幕路線」に反対の立場で、議会政治の導入により幕府と朝廷・薩摩の対立を融和させようと動いていたことが暗殺の原因になったものと思われる。<赤松小三郎と坂本龍馬両者に共通する原因>


業績
建白七策=民主的議会政治 の提言 
慶応3年(1867年)5月17日に、前福井藩主・松平春嶽に「御改正之一二端奉申上候口上書」という建白書を提出した。また同じく5月、同様の建白書を薩摩藩島津久光にも提出している。
この建白書の中で、二院制の議会(議政局)政治を提唱した。これは、身分にとらわれない民主的な普通選挙による議会政治を提言した文書として、日本最初のものである。


上局:定数30人 貴族院に相当:朝廷と幕府と諸藩の融和の象徴として、公卿と諸侯と旗本より選出される。
下局:定数130人 衆議院に相当し、議員は、各藩を基礎とした選挙区から「門閥貴賎に拘らず道理を明弁し私なく且人望の帰する人」を、入札(選挙)によって公平に選ぶべしとされた。
国事は総て此両局にて決議」とされ、議会は国の最高議決機関と位置付けられている。


建白書の中では、内閣総理大臣(「大閣老」)以下6人の大臣を議会が選出するという議員内閣制度も提言されている。また、議会の決議事項に対しては、天皇ですら拒否権を行使できないとされた。

他の建白された項目として、
主要都市に大学を設置し全国民への教育機会を提供すること、
人民平等の原則に基づき農民に重すぎる税負担を軽減、全ての職種に公平な税率を課すこと、
金貨・銀貨を国際的なレートに従って鋳造し直し、物品の製造にあわせ通貨供給量の拡大を計ること、
陸軍と海軍を拡充し諸民からも軍人を養成して士族の割合を徐々に減らすこと、戦時には国中の男女を徴兵可能にすること、
西洋から顧問を迎え入れ各地に諸物製造所を設け産業を振興すること、
肉食を奨励し日本人の体格を改善すること、家畜も品種改良すること、など。


赤松小三郎が 建白七策の提言をした一カ月後の慶応3年6月15日
坂本龍馬の「船中八策」が起草されている。これは「建白七策」を下敷きにしてスローガン的に八項目にまとめたものといわれている。(上述)



暗殺
赤松小三郎は慶応3年9月3日(1867年9月30日)に、坂本龍馬は 慶応3年11月15日(1867年)に暗殺された。

薩摩藩士で赤松小三郎の門下生であった中村半次郎と田代五郎左衛門に暗殺された。中村半次郎はその日記で「幕奸」(幕府のスパイ)だから斬ったと記述している。赤松が薩摩の軍事機密を知りすぎていたこと、薩摩の武力討幕路線に反対の立場で、議会政治の導入により幕府と朝廷・薩摩の対立を融和させようと動いていたことが暗殺の原因になったものと思われる。すなわち、薩摩は幕府と戦争をし、新政府に徳川が入ることを嫌っていた。

坂本龍馬の暗殺説は色々あり、定まっていないとされるが、赤松小三郎と同じ原因で、同じ黒幕だとする説もある。

薩摩藩からは国元に招聘されたものの、薩摩藩の武力討幕計画を知って拒否した。内戦の危機を回避しようと、慶応3年8月まで「幕薩一和」を求めて、薩摩の西郷隆盛や小松清廉、幕府の永井尚志らとギリギリまで交渉していた様子が兄宛の書簡からうかがえる。

出身地の上田藩より度々召還命令を受けたが拒否をし続けたものの、慶応3年(1867年)9月に呼び戻されることになった。その帰国の直前、京都・東洞院通りで薩摩藩士で門下生であった中村半次郎と田代五郎左衛門に暗殺された。中村半次郎はその日記で「幕奸」(幕府のスパイ)だから斬ったと記述している。赤松が薩摩の軍事機密を知りすぎていたこと、薩摩の武力討幕路線に反対の立場で、議会政治の導入により幕府と朝廷・薩摩の対立を融和させようと動いていたことが暗殺の原因になったものと思われる。

赤松の墓は金戒光明寺にあり、その墓誌には「薩摩受業門生謹識」として師匠を称える言葉と死を悼む言葉が書かれている。遭難の地には記念碑が建てられている。故郷上田の月窓寺には遺髪墓がある。


英国式兵学者としての業績
慶応2年(1866年)より、京都に私塾を開き、英国式兵学を教える。門下生には、薩摩・肥後・会津・越前・大垣などの各藩士から新選組の隊士までが含まれており、呉越同舟状態であった。

ついで薩摩藩から兵学教授として招聘され、京都の薩摩藩邸において中村半次郎・村田新八・篠原国幹・野津鎮雄・野津道貫・黒木為楨・東郷平八郎・樺山資紀・上村彦之丞ら約800人に英国式兵学を教え、藩士たちの練兵も行った。薩摩藩の兵制を蘭式から英式へと改変するのに指導的役割を果たした。

また会津藩士・山本覚馬より会津藩洋学校の顧問就任を依頼され、友人の西周と共に会津藩洋学校の顧問を務めた。

日本のマスコミに喝!!!

日本のマスコミに喝!!!

以下の記事を読んだ。

慰安婦問題の「河野談話」を検証した政府報告書(6月20日公表)産経新聞朝日新聞の論調のコントラストは顕著だ。

産経は河野談話が、「日韓合作」だったという特ダネをすでに報じていただけに「根拠のない談話により日本の名誉は著しく傷つけられている。談話は破棄、撤回を含め見直さなければならない」と断じた(同21日付主張)。

朝日はもともとこの問題の火元と目されているせいか、元慰安婦たちの救済を重視すると同時に、韓国政府の猛反発を懸念。「もう談話に疑義をはさむのはやめるべきだ(同社社説)」と幕引きを主張している。

両紙の論調に違いがあることは別に問題ではない。それぞれの社の方針に沿った主張があっていい。その違いが安倍晋三首相の政治信条や国家観に対する評価の違い、ないしは日中韓関係に対する評価の違いに起因していることに間違いない。〜中略〜。両紙論調が併存していることは日本の言論界の健全性を物語るともいえよう。
                           ジャーナリスト 伊豆村房一 元東洋経済新報社取締役編集局長



上に引用した文章はおかしい。
朝日新聞の虚偽の報道が原因で「従軍慰安婦」問題が世界中を駆け巡り、日本の名誉が傷つけられている。
言論の自由は重要であるが、虚偽のでっち上げで日本の名誉を傷つける自由はない。それは「犯罪」である。
だから、この問題に関する限り「両紙の論調に違いがあることは別に問題ではない」という記述はおかしい。

私は「河野談合」で「従軍慰安婦問題」は、日本のマスコミ界の問題とせよ。虚偽の報道はマスコミ間で批判し合えと論じた。しっかりしないと言論の自由を主張できなくなる。マスコミは自分の首を絞めることになる。

① 最近、朝日新聞OB記者が「従軍慰安婦問題」で朝日新聞を批判している。朝日社内で批判はないのか。社内で批判する勇気がないのか。朝日社内に言論の自由がないのか。朝日が言論の自由を主張しているのは表向きだけで、社内に言論の自由はないのか。

読売新聞が朝日新聞に呼びかけいる。朝日は逃げているが読売に応じよ。日本のマスコミ内で解決せよ。(「河野談合」に書いた)



伊豆村房一氏がどの程度のジャーナリストか知らないが、「従軍慰安婦」問題は、日本の、日本外交の問題である前に、朝日新聞社内の問題、日本マスコミ界の問題でもある。上文の記述の意味では、虚偽のでっち上げという犯罪も「言論の自由」の範疇に入ることになる。マスコミの能力、レベルが疑われる。


サッカー日本代表、アジア代表のFIFAワールドカップ2014

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サッカー日本代表、アジア代表のFIFAワールドカップ2014

日本代表
サッカー日本代表のFIFAワールドカップ2014は決勝進出ならず残念な結果に終わった。
原 博実サッカー協会専務理事兼技術委員長(強化担当)がザッケローニ監督の指揮について注文をつけたとか、進言したとか、雑音も聞こえてきたが、私はアジアカップ、コパアメリカ、ワールドカップ予選などを通じ、A代表の試合を十分に楽しませてもらった。

監督の日本人、日本文化に対する理解の深さにも尊敬の念を抱いている。アルベルト・ザッケローニ(Alberto Zaccheroni、1953年4月1日〜 )さん、ありがとう!!!



アジア代表のワールドカップ成績<最後の順位FIFAランキング>
                                    勝点 得点 失点  差
イラン<グループA1位、37位>     :グループF4位  1  1   4  -3
日本<グループB1位、47位>      :グループC4位  1  2   6  -4
韓国<グループA2位、55位>      :グループH4位  1  3   6  -3
オーストラリア<グループB2位、59位>:グループB4位  0  3   9  -6

ウルグアイ<アジア5位ヨルダンに勝利>:グループD2位  6  4   4   0
<FIFA6位>            決勝トーナメント 対コロンビア 0-2 で敗れる


アジア代表は、全4チームがグループリーグ最下位の4位。
次回のワールドカップでアジア代表枠のチーム数が減らされないか心配である。

決勝トーナメント進出は
中南米7チーム、ヨーロッパ6チーム、アフリカ2チーム、アメリカ

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 辻 幸弥 (つじこうや)

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