籾井 勝人NHK会長就任記者会見

NHK  NHK

籾井 勝人(もみい かつと)NHK新会長就任記者会見

NHK会長就任記者会見での質疑応答
2014年1月25日のNHK会長就任記者会見において籾井新会長が記者の質問に対して以下の発言をしたと報じられている。

特定秘密保護法に関して:NHKの報道が少ない・姿勢が政府寄り、との指摘に、「(国会で)通ったこと。あまりカッカする必要はない」。

竹島問題・尖閣諸島問題の質問ついて:「日本の立場を国際放送で明確に発信していく、国際放送とはそういうもの。政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」。

放送内容の質問について:「日本政府と懸け離れたものであってはならない」
   (方針としてだが「NHKの民放化は問題がある」と述べている。大賛成、我が意を得たり。)

従軍慰安婦の質問について:「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、補償問題は日韓基本条約で解決済みと述べ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。関連して「なぜオランダに今頃まだ飾り窓があるんですか」と述べた。この慰安婦問題と日韓基本条約に関する発言の直後に会長就任会見の場である事を記者から指摘され「発言を取り消したい」と述べた。

発言に対する意見


内閣官房長官・菅義偉は、籾井が記者側から促される形で慰安婦問題に関し「今のモラルでは悪いことだが、戦争地域ではどこにでもあった。逆に、ほかの国になかった証拠はあるのか」などと発言した本件について、「会見の様子を私も(ビデオで)見た。本人は『コメントしない』とずっと言っていたようだが(記者側から)『どうしても』ということで『個人としてであれば』と言った。その後で(記者側から)『個人(の見解)というのはあり得ない』と言われ、『会長としてであれば取り消す』と言った」などと経過を説明し、「初めての会見で、会長としての発言と個人の意見の整理がついていなかった」との見解を示した。また菅義偉は、『昭和40年の日韓基本条約に合わせた日韓請求権協定で韓国との慰安婦問題が「完全かつ最終的に消滅した」という日本政府の立場』を改めて述べ、籾井の発言は政府見解に合致していると述べた。また、NHK国際放送で竹島(島根県隠岐の島町)などの領土問題に関し「明確に日本の立場を主張するのは当然だ」と籾井が発言した事に関しても、NHKの国際番組基準で「わが国の重要な政策、国際問題に対する公的見解並びにわが国の世論の動向を正しく伝える」と明記していることを菅義偉は紹介し、併せて「公的見解」が「政府の見解」にあたるとの認識を示し「放送法と国際番組基準を順守することが重要だ」と強調した。

<コメント> 菅さんは凄いです。尊敬します。今回の議論はこれに尽きている。籾井さんの首を獲ったような報道をした朝日新聞の完敗です。


橋下徹大阪市長・日本維新の会共同代表は「番組を作る現場に介入すると問題になるが、発言は問題ない。僕と全く同じ。まさに正論」と述べた。

<コメント> 橋本氏と籾井氏の発言の共通点は、「戦時どこの国にもあった」ということである。
   「軍の関与」がなかった、または、「軍が関与した証拠はない」とは踏み込んでいないように思うのだが?
   「オランダの飾り窓」に関連して、W杯のブラジルにもまだ「売春制度」があるようだ。  


問題ありとする意見
民主党幹事長・大畠章宏が「不適切で偏向した発言だ。会長になった自覚がない。今後のNHKの在り方を非常に心配している」として開会中の第186回国会で追及する姿勢を示し、

社会民主党幹事長・又市征治も「とんでもない話。歴史認識がなっていない」と批判。

日本共産党書記局長・山下芳生は「公共放送会長の資格はない。不偏不党を保障した放送法の趣旨からも極めて不適切だ」と断じた。

自民党内に「余計な話をしてくれた、NHKは外国からは国営放送と見られている」と述べた者が居るとの報道もある。

中韓の反応;触れるに及ばず


質問をしたのは朝日新聞の記者らしい。朝日新聞によるマッチ・ポンプです。
自分で火を付けて消火した場合、火付けの罪が遙かに大きく、消火は何の罪ほろぼしにもならない。
おかしい。間違えました。マッチ・扇風機です。火をつけて煽っている。大罪です。

対岸(日本)の火事を中韓に見せたかったのでしょう。左翼記事で日中、日韓関係がどれほど損なわれていることか。
国賊行為またかの感がある。
なお、そもそも慰安婦問題を捏造した創作者は「朝日新聞の記者(植村隆)」だという。



政治権力に対する批判」と「国家・国民を貶める発言」は別物である。
日本国民はこれを峻別して排除する必要がある。
マスコミの「国家・国民を貶める発言」により日中・日韓関係が損なわれている。

因みに、NHKには左翼インテリが多く左翼報道が多い。
視聴料を払いたくないと思っていたが、籾井会長に期待して支払いを継続することにする。

※ウィキペディア、その他 参考
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昨年の貿易収支 過去最大の赤字

国際収支
昨年の貿易収支 過去最大の赤字

作年1年間の日本の貿易収支は過去最大11兆4745億円の赤字(一昨年は6兆9410億円の赤字)であり、日本の貿易赤字は3年連続となった。
去年1年間の輸出額は69兆7877億円(対前年9.5%増)、輸入額81兆2622億円(対前年15%増)であった。


輸出額増はアメリカ向けの自動車、中国向け化学製品の輸出など。部品の輸出が増えているのも特徴である。
輸出の金額は増えたが製品の数や量は1.5%のマイナス.3年連続の減少である。

輸入額増は、火力発電の燃料となる原油やLNGの輸入額が円安で膨らんだこと、中国や台湾からのスマートフォンの輸入が増えたことなど。
輸入:▽原油14兆2408億円(対前年16.3%増)、▽液化天然ガスは7兆567億円(対前年17.5%増)▽スマートフォンが主の「通信機」2兆6777億円(対前年24.6%増)、▽テレビ、パソコン、スマートフォン向け半導体などの電子部品2兆4451億円(対前年37.4%増)


超円高が国産品の価格競争力を低下させることにより、生産拠点の海外移転を促し、特に国内の半導体、メモリー関係製品の競争力に大きなダメージを与えた。このところの円安で、生産拠点を海外から国内へ戻す動きが少しはあるものの、海外生産は人件費などコストが安いというメリットがあるため、出て行った勢いに比べると生産体制を国内に戻すスピードはゆっくりとしたものになるだろう。原発事故による電力料金の押し上げ要因も生産拠点を国内へ戻すことに悪影響がある。アベノミックスの効果は海外から生産拠点が戻らないことには効果が薄いことになり、時間がかかることになる。

超円高に白川方明日銀が何の手も打てなかったことが悔やまれる。彼らは日本の工場を海外に追いやり、半導体産業を韓国に追いやった犯人だという自覚がないだろう。その前に民主党がゴネて副総裁候補を総裁にしたねじれ国会を悔やむべきか。90円/ドル以上の超円高が約2年半続いた。黒田東彦日銀が3年早ければと悔やまれる。白(川)より黒(田)、素人より玄人が良い。

貿易赤字は3年連続であるが、経常収支はかろうじて黒字を継続し、2013年もIMFによる推計値で黒字であるが、黒字幅は減少傾向にある。経常収支の黒字は死守すべし。

作家 佐藤賢一

佐藤賢一       1                                                             佐藤賢一

作家 佐藤賢一

直木賞を受賞したとき、受賞作『王妃の離婚』(第121回直木賞受賞作、1999年)や『傭兵ピエール』などを読んだ。佐藤賢一は高校(鶴岡南高校)、大学(山形大学教育学部卒業)とも藤沢周平の後輩であるが、その後作品の発表が少なく寡作の作家と思っていた。私にとって寡作イコール駄目な作家である。しかし、そこには深い苦悩と壁があったようだが、振り返って気がついてみるとかなり膨大な作品の蓄積がある。今や有能な作家の一角をなしている。

小説フランス革命』12巻はじめ、ノンフィクションの分野まで精力的な仕事ぶりである。ヨーロッパの中世を舞台とする歴史小説が主で、『小説フランス革命』12巻は、塩野七生の『ローマ人の物語』を彷彿とさせるものがある。

NHKの「100分de名著」で佐藤賢一の『モンテ・クリスト伯』(岩窟王)を中心としたアレクサンドル・デュマ論、すなわち、新聞小説論、連載小説論を観た。『黒い悪魔』『褐色の文豪』『象牙色の賢者』で、三代に渡るアレクサンドル・デュマ(トマ、大デュマ、小デュマ)について、それぞれの生涯を一冊ずつ書いている。デュマ論は一つの小説論の体系をなすことが理解でき、面白かったし、さすが三代にわたり、デュマを書いているだけのことはあると思った。

歴史小説と言ってもヨーロッパが舞台では読者層を広げるには難しいようにも思える。上述の『傭兵ピエール』は漫画の原作にもなったようだが、力量で壁を破り、ブームを起こしてほしいものである。

小説「新徴組」を書いている。鶴岡生まれ、鶴岡在住であるから「新徴組」を書くのは彼をおいて他に人はいないであろう。しかし、「新選組」に比べると地味である。新選組だって小説や映画や漫画などにくりかえし取り上げられたから、人気があるのである。

清河八郎を司馬遼太郎がどのように冷たく書こうが「藤沢周平」は優しい心で書いている。私は「生死」をはじめ何もかも「坂本竜馬」の5年先を走った「清河八郎」は清河八郎なりの歴史的役割を演じたと思っている。

小説「新徴組」は、庄内藩の側から書いた戊辰戦争の歴史小説である。「新徴組」も「新選組」ももとをただせば庄内藩出身清河八郎の浪士組を源とする。今は歴史ブームである。このブームに乗って、佐藤賢一、新徴組、庄内藩の戊辰戦争がもっと知られればよいと思う。


佐藤賢一氏は31歳で直木賞を受賞し、現在45歳。藤沢周平が小説を書きはじめ、直木賞を受賞した年齢とほぼ同じである。直木賞を同時に受賞した桐野夏生はもう63歳である。これからの活躍を期待する。

松平甚三郎

DSC00372.jpg            1                                                       晩秋の庄内平野
松平甚三郎


戊辰戦争において不敗であった庄内軍の指揮官は、一番大隊長松平甚三郎久厚 、二番大隊長酒井玄蕃(了恒、吉之丞、吉弥)であった。

戊辰戦争で一番大隊長として活躍したのは十三代目の松平甚三郎であるが、初代松平甚三郎久恒藤沢周平 の名作「ただ一撃」に描かれている。

藤沢周平の小説の舞台は架空の「海坂藩」が多いが、「ただ一撃」は酒井家庄内藩である。酒井家は「信州松代10万石から元和8年(1622年)「庄内13万8千石に移封されたが、その4年後の寛永3年(1626年)の鶴ヶ岡城下が舞台である。

この短編小説は藤沢周平作品の中でもファンの評価が高く人気がある。藤沢作品が映画化される前、ネットで映画にしたい作品の上位を占めていたように思うが、映画化し難いであろう。なにしろ「ただ一撃」で勝負が終わってしまうのだから。


この小説の面白さは、戦場を経験した世代の武将として松平甚三郎久恒、兵法者として刈谷半兵衛、を描写していることにある。この短編小説の主人公は「刈谷範兵衛」であろうが、実在の松平甚三郎久恒を通して戦国武将像はかくやというものを藤沢周平は描きたかったような気がする。

ときの庄内藩主酒井忠勝は徳川四天皇の一人藩祖忠次の孫であり、亀ヶ崎城城代家老松平甚三郎久恒は忠次の四男(小説中には第七子とあるがどちらも正しいであろう)で藩主忠勝の叔父にあたる。忠次の二男は本田康俊、三男は小笠原信之でいずれも城持ち大名である。

戦場の刀遣いの匂いがする清家猪十郎の剣に道場で鍛えた若侍たちは次々にぶざまな負け方をする。
そこで松平甚三郎は酒井家が高崎5万石の時代に召抱えた兵法者「刈谷範兵衛」を思い出し立ち会わせることにする。「儂が立会って試技をみた。精妙な剣を使ったぞ、うん。木剣は触れもせなんだが、相手が切られたのがよく解った。さよう、ただ一撃だった」「されば・・・」「かれこれ六十位になろうか。死んだとは聞いていないぞ」

誰も知らない忘れ去られた刈谷範兵衛の二十年も前に立会った登用の試技をご城代が覚えていた。「その松平が、やれという。断るわけにはいかんぞ、篤之助」範兵衛の表情はひどく活き活きしている。

刈谷範兵衛の長男篤之助「父上は、兵法の嗜み(たしなみ)がおありで?」「侍だ、少々の嗜みはある」「少々ですか」「ご家老の口ぶりはそうでなく、よほどの剣の名手といった言い方だったもので」「なに、ご家老だと?」「どのご家老だ?」「ご城代の松平さまです」「ほほう」刈谷範兵衛の皺ばんだその頬に、ほのかな赤味がのぼった。

「君子は己を知る人のために死す」刈谷範兵衛は己を知る松平甚三郎のために、老体に鞭打ち最後のご奉公をする。城代家老松平甚三郎がいまだに自分のことを憶えていることがモチベーションとなり、爆発的なエネルギーを発散したという物語である。戊辰戦争で庄内藩が強かったのは指揮官に絶対の信頼をおいていたからだという。庄内藩兵は指揮官自慢だったらしい。それにつながる物語である。

ただ一撃で刈谷範兵衛が勝った。  

靖国は国内問題 2

鳥海山     庄内の風景  鶴岡市赤川土手から見る鳥海山 9月

靖国は国内問題 2
靖国神社が日本の国のために戦死した英霊を祀る神社とは認めがたい理由を例証する。

「八重の桜」の第1回は戊辰戦争と南北戦争二つの戦争場面から始まった。
<カテゴリ「八重の桜」を参照。再読おすすめです>


南北戦争は激しい戦いで戦死者も多く、意外に思うかも知れないが、リンカーンは戦争に勝つために手段を選ばず、老人・子供をも攻撃対象にした。

戊辰戦争は薩長(明治新政府)が如何にして戦いに持ち込むか画策した戦いであった。徳川側は譲歩を重ね、会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として奥羽列藩同盟が結ばれ、会津藩・庄内藩赦免の嘆願書を提出したが、薩長新政府は拒絶した。世良修蔵の密書の中に「奥羽皆敵」の文面を見て、奥羽列藩同盟は奥羽越列藩同盟31藩として拡大再結成されるに至った。かように薩長新政府は好戦的であった。

官軍の白虎隊始末記
明治元年9月22日に会津藩が降伏して、「官軍」の戦死者はすぐに埋葬されたが、奥羽越列藩同盟軍の戦死者は、翌春まで放置された。新政府の会津征討軍は、遺体に手を触れることさえ許さなかった。飯盛山で自刃した白虎隊士の遺体が発見されたのは雪が降ってからで、滝沢村肝煎(きもいり)吉田伊惣次が、少年たちを近くの寺に仮埋葬したが、それが罪に問われた。あげくの果てに、戦後処理にあたった新政府民生局監察方兼断獄の福井藩士久保村文四郎は、少年たちの遺体を掘り起こして元の場所に捨てるよう吉田伊惣次に命じたのである。久保村文四郎は任期を終えて帰国途上、旧会津藩士に暗殺された。


庄内藩の横手城攻略記
庄内藩は破竹の勢いで総督府軍と秋田軍を追撃し横手城を攻略した。庄内の指揮官は松平甚三郎と酒井吉之丞(別称;玄蕃、了恒、吉弥)、横手の城将は秋田の家老戸村十太夫の子大学、わずか20歳であった。父十太夫は秋田にいて不在。庄内軍は流血を避けるため投降するよう勧告したが、投降せずわずか一日で落城した。
翌日、庄内軍は城のあちこちに横たわる死体を集め、城北の竜昌院に運んで葬り、僧侶を呼んで読経、供養し、「佐竹家名臣戸村氏志士墓」と書いて標柱を建てて前線に立ち去った。標柱の背面には、「奥羽義軍葬埋礼拝感泣して過ぐ。惜しいかな、この人々の氏名を知らず。もしこれを知る者あらは、あきらかに追記せんことをこいねがう」と書きつけた。


戊辰戦争で庄内藩は連戦連勝で庄内藩の領内で戦ったことはなく破竹の勢いで新庄藩や秋田領内に押し込んだ。官軍が拮抗する戦いをするようになったのはようやく佐賀藩が参戦してからであったが、会津藩が降伏した二日後庄内藩も西郷隆盛相手に和睦、投降した。

庄内藩に比べ、薩長軍の敗者への扱いは残酷を極めた。誰でも知っている「白虎隊」。その始末もかくのごとしであった。かくして薩長明治維新政府が建立した靖国に会津、庄内の英霊は祀られていない。維新に流血が必要だという論理なら彼らも英霊である。必要ないと言うなら余計な流血の責任は薩長新政府にある。

南北戦争は凄惨を極めた内戦であった点では戊辰戦争と同じである。白虎隊などの英霊が祀られていない靖国神社は、南北戦争の両軍の英霊を祀るアメリカのアーリントン墓地と同列ではない。これは日本の歴史、伝統に、近くは武士道にも反することで、日本人として悔しいことである。

安倍首相を私は支持している。但し、靖国問題に関する限り、単なる長州閥の政治家に見えて仕方がない。

靖国問題の一視点

DSC09093.jpg       靖国境内 大村益次郎像

靖国問題の一視点

靖国神社には、中韓との国家間の問題以前に国内の歴史的な問題がある。

靖国神社にはもちろんのこと地方の招魂社(のちの護国神社)にも戊辰戦争で薩長軍の敵となった会庄同盟の会津藩、庄内藩、奥羽越列藩同盟、彰義隊、西南戦争の西郷軍、西郷隆盛などの戦死者は、明治政府の意向により朝敵の名のもとに祀られていない。  

この事実は、A級戦犯が合祀された1978年以後も変わらない。
極東軍事裁判事後法で無効だなどの議論はこの問題とは別問題である。


靖国神社は、日本の国のために戦死した英霊を祀る神社とは認めがたい。
日本古来のしきたりは、敵味方の区別なく戦死者を祀ることではないのか?
高野山には敵味方入り乱れて戦国武将たちが祀られている。
何より、各家庭で仏壇の上に神棚があるのが日本古来の伝統である。
この国では神仏混淆(習合)さえ当たり前である。

アメリカでさえ(アメリカには失礼な表現だが)アーリントン墓地には南北戦争の南北両軍の戦死者が祀られている。
安倍晋三首相よ。靖国は日本の戦没者を祀る社としては足りないものがあり過ぎると思うのだが


中国、韓国の言い分が正しいと言っているのではない。国内問題への干渉だから間違っている。
日本の左翼と左翼思想の新聞(朝日、毎日など)の言い分が正しいというつもりもない。間違っている。
左翼新聞は中韓へのご注進の役割を果たし、国家間紛争の種を蒔くトラブルメーカーの役 割を果たしている。
宗教問題として信教の自由を侵していると大げさにいうつもりもない。日本古来土着の神道をおいてほかにない。



昔の兵隊仲間と旧交を温めていた父を千鳥ヶ淵墓苑に迎えに行ったとき、庄内(鶴岡)出身の父は靖国に参拝しなかった。ロシアの捕虜生活が長かったが、作業で怪我したとき、過酷な労働と栄養失調などで死亡した仲間の死体を焼くのが仕事だったこともあったという。兵隊仲間に戦死者は山ほどいたことになるが、靖国には参拝していない。

2014年1月2日(木)

ph1-h240102-sanga[1] 新年一般参賀2014年

2014年1月2日 の日記

何をするのか決めていなかった。
出していない相手からの年賀状が10枚余り届き、返信しなければならないが、まず賀状を買う必要がある。
健康のために運動するのが日課だが、早朝、初詣を兼ねて氷川神社までスロージョギングはした。


インターネットで「新年一般参賀」の時間を調べてみる。
第1回午前10時10分頃  第2回午前11時頃  第3回午前11時50分頃
第4回午後1時30分頃   第5回午後2時20分時頃


東京駅丸の内南口のKITTE(中央郵便局)に寄れば年賀状も買えるし、皇居周辺を歩けばかなりの歩数になる。
11時30分ころ東京駅に着いた。直ぐ年賀状を買い、皇居前で散歩しながら時間を潰し、午後1時30分の参賀に行こうと決め、早目だが皇居前広場に行く。行列ができていて、自然な行動としてそれに並ぶ。最初に手荷持検査があり、次に服装検査があった。昨今の世界情勢からそれは仕方ないことである。カメラ以外何も持っていないのは良い判断だったと納得。前を見ると間断なくどんどん人の行列が「正門石橋」を渡り皇居に吸い込まれていく。参賀まで皇居内で1時間以上待つことになるが、成り行きに任せることにした。

時間に余裕があるから、まずトイレに行く。11月に「皇居参賀」に来たがその時は皇居内でトイレに行かなったから、皇居のトイレを使うのは初めてかなとつまらないことを考えていた。皇族がお出ましになる長和殿ベランダから30m位の場所で待機。周囲には、いろいろな人がいる。斜め後ろに自衛隊の制服を着た人、すぐ斜め前に黒い防寒着を着て防風帽をスッポリとかぶった男女二人連れ。服装からこの男女少し危ないのではと思い目視で荷物をチェックしたりした。外国人は白人が多いように感じた。10年以上前に来たことがあるが、そのときはアジア系が多いように感じた。

参賀ではみんなが一斉に旗を振った。おそらく先ほどの制服だろうが凄く大きな声で「天皇陛下万歳」を三唱した。自衛隊という環境が彼をして大声で「万歳」をさせているのだろうが、自衛隊員でも千差万別、個人ごとに異なる行動をとるだろう。天皇陛下のご挨拶がはじまる前、水を打ったように静かになり、みなさん熱心に傾聴している。これは日本人に共通する美徳・美点である。

DSC09083.jpg       武道館前 1月2日
参賀終了後、「道灌濠」のそばを通り「乾門」を出て北の丸公園、「武道館」の前を通り「靖国神社」へ行った。武道館では賑やかな行事が行われているようだ。

DSC09085.jpg 靖国神社の混雑 1月2日

靖国神社は初詣客で混雑している。参拝はせず、すぐに千鳥ヶ淵墓苑に向かう。
靖国神社と故郷「庄内藩」はどんな関係にあるのだろうか? 明治維新の戦没者が祀られているが、西南の役で朝敵と見做されている西郷隆盛が祀られていないことは良く知られている。されば庄内藩は? 会津藩は? 幸いなことに「大東亜戦争」で父も叔父さんも親戚のJさんも戦死していない。中でもJさんは戦死率が高い海軍であったにも拘わらずといわれていた。だからこだわりなく参拝をスルーし、冷静に混雑状況を観察した。


DSC09096.jpg 1月2日の千鳥が淵墓苑

「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」は非常に空いていて静かであった。私が初めて千鳥ヶ淵墓苑に来たのは、父の晩年、昔の「兵隊仲間」と会い旧交を温めていた父を迎えにきたときである。それ以来花見に来ときにときどき立ち寄ることがある。

DSC09115.jpg 夕日に輝く桜田門の白壁 1月2日
皇居の堀沿いを通り、半蔵門、最高裁、国会議事堂のそばを通り、桜田門を通過し、再び皇居前広場に戻った。かなり歩きがいがあった。家に着いたら歩数計は2万歩を超えていた。早朝のジョギングを加えると今日の歩数は2万5千歩になる。これで今日は良い日を過ごしたということにはならないが、これさえしなかったことに比べれば遥かに良い日だったことになると思う。年賀状の返信も無事に済ませたし。

山形の三姫  ブランド米「つや姫」

阿川佐和子 つや姫            つや姫の宣伝をする阿川佐和子さん

山形の三姫  ブランド米「つや姫」

新年あけましておめでとうございます。

新年早々は平和で芽出度い話題にしたい。
しかし、目出度い話は思い当たらないから出身地山形の宣伝をする。
12月10日「つや姫と知事姫」というコピー(広告・宣伝文句)を書いた。
ブランド米「つや姫」と「知事姫」=「吉村美恵子」山形県知事のことである。


ついでだからもう一つ書く。
つや姫のテレビコマーシャルを阿川佐和子さんがやっているから、
つや姫と「吉村美恵子」山形県知事と阿川佐和子さんで「山形の三姫
阿川佐和子さんは今をときめくベストセラー作家でテレビ司会者でインタビュアー、
あれほどの人が宣伝するほど「つや姫」は凄いのであろうか。
凄いのであるということを書かないと「佐川佐和子氏」に失礼にあたる。



つや姫の出自;
1998年に山形県立農業試験場庄内支場(現・山形県農業総合研究センター水田農業試験場)で、父:東北164号・母:山形70号として、交配が行われ、その後、世代促進を行った後代を選抜・育成し、2005年の雑種第9代(※)に山形97号の地方番号を付与し、2008年に山形県で奨励品種に指定採用された。
祖先品種  • 亀ノ尾  • コシヒカリ  • キヌヒカリ  • ひとめぼれ

※雑種第9代:私は素人であるが、おそらく、収穫した籾を種子として8代(回)繰り返し、種籾を増やしながら、変化がないことを確認し、9代目を新しい品種として認めた。種籾を獲り、将来に渡り繰り返し同一の米を収穫できることを確認した。最近、モンサント社に代表される一代交配種は種子をとることができない。種子会社から買うしかない種子を通し、戦略的に世界を支配しようとする動きがある。

•2009年2月23日に名称を「つや姫」に決定した。交配から「つや姫」命名まで11年かかっている。

評価
o (財)日本穀物検定協会の食味官能試験において、外観については「つやがある」「粒がそろっている」など、味については「甘みがある」「うまみがある」などの評価が得られている。
o 分光測色計による炊飯米の白色度はコシヒカリより高い。
o 炊飯米は表層の硬さの値が大きく、粒が崩れにくくしっかりしており、全体の物性も優れた良好なバランス度が得られる。
o 慶應義塾大学先端生命科学研究所(鶴岡市)の分析では、アミノ酸であるグルタミン酸とアスパラギン酸がコシヒカリより多く含まれている。
• (財)日本穀物検定協会におけるランキングでは、2008年・2009年産米とも、参考品種ながら特Aにランクした。
o 2008年産は、同年の特Aランク21銘柄のうち最高評価を得た山梨県峡北(北杜市)産コシヒカリと並ぶ評価を得た。


品種特性
○つや姫は(「コシヒカリ」などと比べ)草丈が短く倒れにくい
○出穂期・成熟期ともコシヒカリ並で山形県では晩生に属する。
○稈長(稲の背丈)はコシヒカリより短く、耐倒伏性はコシヒカリより強いやや強。
○単位収穫量はコシヒカリよりやや少ない。
○いもち病真性抵抗性導入遺伝子は「Pii,Pik」。葉いもち抵抗性は強、穂いもち抵抗性は(強)、障害型耐冷性・穂発芽性はともに中である。
○玄米千粒重はコシヒカリと同じ22g程度。
○収穫時期はコシヒカリと同じ。
○玄米に光沢があり、白未熟粒の発生が少なく高品質であり、炊飯米の外観と味が優れコシヒカリ以上の極良食味である。

(ウィキペディアより抜粋)

つや姫は、栽培、対耐気候、食味、将来性などあらゆる面で優れている。
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