地震研究 国の計画大幅見直しへ


① 一部の研究を縮小:地震発生のシミュレーションをする研究を縮小する。
② 地質や地形学的な研究を強化する。地層に残された津波の痕跡や地震によって変形した地形の調査などを強化


 東日本大震災を予測できなかった原因について、地震発生のメカニズムに関する一つの考えにとらわれ過ぎて、地質や地形に残された過去の地震の痕跡を研究する観点が不足していたと、これまでの反省点をまとめた。地層や池などに残されている津波の堆積物の調査や古文書の調査、それに地形の調査などを強化する。この見直し案は来月開かれる国の科学技術・学術審議会に提出される。



 このブログで主張してきたことにようやく気がついたかという思いである。地震学という特別な分野は存在せず、地質学という地に足がついた手法を地道に積み上げることが大切だということである。今は、原発が立地する場所の活断層の再調査が重要である。電力会社の調査結果が出ているが、それだけでは当然片手落ちである。

 根拠になるデータがなければスーパーコンピュータを用いても意義ある見解が得られないのは自明の理である。それは地震予知と称するコンピュータゲームに過ぎない。

 この見直しは、東北大学の箕浦教授、北大の平川名誉教授、高知大学の岡村名誉教授の研究が地震学の研究を上回っていると認められたことを意味する。南海トラフの巨大地震の死者最大32万3千人もこの研究に基づいていると思われる。

 過激と思われるだろうが、重要な問題点がもう一つある。東日本大震災を予測できなかったという表現である。地質学者は立派に予測していたが、地震学がじゃまになっていたのである。特に箕浦教授の研究は今に始まったものではなく、その蓄積が、平川、岡村教授の研究につながり、さらに今回の「国の計画大幅見直し」につながったのである。

 日本では成り立ちにくい議論であるが、イタリア的論理では、検察が地震学が邪魔をしたと訴えるのではないだろうか。地震学会という看板が地質学的、地形学的研究の前に立ちはだかり邪魔になっていたということである。科学分野にも権力や派閥があるのか。もしあるなら、その解体が必要である。


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官僚の本音  東日本大震災の復興予算の使われ方


 被災地に関係のない予算配分を可能にするのが、復興基本法にいう「豊かで活力ある日本全体の再生」という一見ごもっともなお題目である。これで復興利権漁りが可能になる。

 官僚の本音は「過疎地60万人の被災地に金を投じても経済効率が悪い。復興しなくても仕方ない」というものらしい。霞が関では臆面もなく話題になるのだそうだ。官僚(霞が関)の言いなりである現政権も人間味のかけらも国家観もないと言える。

 天変地異で家も職場も失い途方に暮れている。それを助けるのが国家の国家たる所以である。復興の公共投資こそ経済効果が期待できる。国富・国力の源泉に投資し窮状を救うことこそ国家繁栄の源である。

 コンタクトレンズ工場への投資など国費の無駄使いだ。これこそ自助努力に待つべきであり、過保護は逆に競争力の失墜につながる。このような無駄使いが積り積って1000兆円とまでは言わないが、節税の思いはないのかと唖然とする。




諏訪根自子 4

 
 大島大使夫妻一行と車でベルリンを出てチェコスロバキアに入り、宿泊したホテルで進駐してきた米第七軍に軟禁される(昭和20年4月?)。一行はザルツブルグを経てフランスのル・アーブル港に護送され、やはりヨーロッパ滞在中であった近衛秀麿も米軍にとらわれて加わり、ジェネラル・ゴードン号に乗船させられ米国へ向かった。同船には西部戦線から日本の本土侵攻に向かう米第八軍の兵隊が満載されていた。

 自由の女神が立つニューヨーク港手前のリヴァテイ・アイランドの難民収容所で徹底的な所持品検査、身体検査が行われたが、ストラデヴァリウスは接収されなかった。一行170名が米国東部アパラチア山系のベッドフォ-ド・スプリングのホテルに収容されたのは昭和20年8月9日のことであった。

 11月11日、ヴァイオリン独奏諏訪根自子、ピアノ伴奏近衛秀麿、テノール独唱内本実の音楽会を開き、米国国務省関係者とホテル従業員たちも招待した。深夜まで拍手が鳴りやまず、アンコールを繰り返したという。11月16日ホテルを発ち、11月24日シアトル港から軍用ジェネラル・ランデル号に乗船し、昭和20年12月7日夕刻浦賀に到着下船した。諏訪根自子はほぼ10年ぶりに日本の国土を踏んだ。


 1937年4月9日、立川~ロンドン間1万5千㎞を飯沼正明操縦の「神風」が94時間余で飛行した。「美貌なれ昭和」という書名は、この慶事に因み、「宮本武蔵」を執筆中の吉川英治が朝日新聞に書いた「美貌なれ国家」という一文を真似たものである。「国際面に対しても、美貌は国家も必要としてもつ容姿でなければならない」

 飯沼正明が真珠湾攻撃のニュースを聞いて、そのショックで飛行機のプロペラに巻き込まれて死亡し、諏訪根自子が戦時のヨーロッパにあった時代、日本は精悍殺伐な顔つきになり美貌ではなかった。そして、諏訪根自子が浦賀に下船したとき、日本は再び美貌に向かい出したと言えるのではないだろうか。


 このシリーズを一応終了します。


地震予知失敗で禁固6年

イタリア地震予知失敗で禁固6年の判決(2012年10月22日)

 2009年イタリア中部で発生し、死亡309人、およそ1600人が負傷した地震を適切に予測出来なかったとして、イタリア中部ラクイラの裁判所は、国立災難予測・対策委員会の科学者6人と政府担当者1人に、検察側4年の求刑に対し、6年の禁固刑を言い渡した。なお、まだ上訴の機会は2度ある。

 地震前6カ月間に数百回の弱い群発地震が感知されていたが、M6.3の地震発生の6日前に「危険はない」と発表、住民が逃げ遅れるなど甚大な被害を招いたとされた。

 科学を裁くことはできない、など、議論が多いが? 「地震予知のけじめ」(10/24)を考える参考になる。


 カテゴリ 「原発事故と津波予知1」 をクリックすると、「地震予知のけじめ」 と対比できます。

諏訪根自子 3

 
 昭和11年(1936)、16歳でベルギーに留学(3月11日、ブラッセル到着)、そのとき保護者格のベルギー大使は来栖三郎であり、ベルギーではエリザベス皇太后の客人といった立場だったという。翌昭和12年(1937)、立川~ロンドン間1万5千㎞を94時間余で飛行し4月9日ロンドンに到着した飯沼正明操縦の「神風」がベルギーのブラッセルを親善訪問した。4月16日のことであった。根自子は来栖大使の娘と「花束」を渡す。

 この小説の二人の主人公の接点は「時代」と二人とも「美貌」であったことと「ブラッセル飛行場」だけである。根自子は「飯沼さんはとても綺麗、あんな人は一寸見たことがない」と日記に書いたし、飯沼は「今日は諏訪根自子さんが、出迎えてくれた」と国際電話で東京へ報告した。

 昭和13年(1938)1月、諏訪根自子は留学を終えパリに移り、翌年、演奏家としてデビューする(諏訪根自子1 冒頭写真)。第二次世界大戦とともに、昭和15年パリの在留邦人、画家藤田嗣次、岡本太郎などが帰国してゆく。藤田は帰国後「戦争画の歴史的大作」を描いている。しかし、根自子は戦時下のパリにとどまった。この状況下で演奏活動をし、賞賛される。

 昭和16年の第二次引き揚げにも諏訪根自子は応じなかった。昭和17年ドイツ占領下、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなど一流指揮者達が指揮する交響楽団と次々に共演する。昭和16年2月、ナチス・ドイツ宣伝省ゲッペルスからストラディバリウスのヴァイオリンを贈呈される。

 戦時空襲下、根拠地パリからベルリンへの移動にも苦労した。与謝野鉄幹・晶子夫妻の二男外交官与謝野秀(しげる、政治家与謝野薫の父)の努力で、スイスで演奏会を行う。回を重ねる毎に評価と知名度が上がり好評の度が増した。新聞記者など周囲にスイスへ居を移すよう尽力する人がいたが、しかし、もはやベルリンからスイスへの移動さえままならなかった。
 

地震予知のけじめ

 
 日本には総括がないと言われる。けじめがないともいう。 

1.地震予知の歴史 
  地震予知に関する研究が始まって50年になる。

昭和37年(1962):地震学者のグループの提言;観測網を整備すれば10年後には地震予知に十分な信頼性を持って答えることができる。

昭和40年(1965):地震予知計画;本格的研究開始

昭和51年(1976):東海地震説を発表。直前予知により被害を防ぐための法律、観測態勢を強化した。

昭和53年(1978):大規模地震対策特別措置法(大震法);東海地震の予知 首相による警戒宣言発令

平成7年(1995):阪神・淡路大震災;予知されていない。地震研究の態勢をさらに強化

平成23年(2011):東日本大震災;予知されていない。

※本ブログでは地震学会の「東日本大震災は予知されていない」という立場を否定する。東日本大震災は予測されていた。たとえ研究者本人が予知に至らなかったと言ったとしても、立派に予測していた。


2.函館市でおこなわれた日本地震学会で地震予知に関するシンポジウムが開かれた。
  日時;2012年10月16日(火)~10月19日(金)

地震予知;出来た事例はない。このまま研究を進めても予知につながらない。
     地震学の敗北である。けじめが必要であるということである。
    (地震研究者大勢の意見。もちろん反対意見もあったようだ。)

地震予測;時期や場所をある程度絞り込む予測は可能になるという意見が大勢を占めた。
     ※東日本大震災は予測されていた。


「地震予知に依存しない防災体制の構築」が必要である。(某新聞)
 これを国民に分かるように宣言する必要がある。廃止する法律は?
 地震予知の研究予算は縮小するのであろうか。

※前兆現象からの地震予知の可能性を期待していたが、それも難しいらしい。


 カテゴリ「原発事故と津波予知1」をクリックするとこの項と※印の根拠「予知されていた東日本大震災の大津波」が表示されます。

諏訪根自子 2

諏訪根自子のコンサート
諏訪根自子12歳 昭和7年(1932年)4月9日
ヴァイオリンコンサート in 日本青年会館


 12歳から留学する16歳までの活躍はインターネットで当時の録音盤を聴くことにより体感できる。<リンク諏訪根自子>をクリックすると、まずパガニーニのテクニックを要する曲が聴けるが、その同じ画面にはそのほかの曲も表示される。ありがたいことに諏訪根自子への哀悼の意のため最近登録された曲も多数あるようだ。

  また78回転レコードの再生であるが、竹針、手巻きによるレコードの回転、電気を用いない音の増幅(ラッパ状の管)、によるエジソンの発明(異論もある)に改良を加えたレベルの蓄音機による再生もあるようで楽しい。博物館で聴いたことがあるが意外に音質が良く自然で、音域、音の分解能なども素晴らしいものであった。音の文化の時代変遷も楽しめる。


 なお、この項は「美貌なれ昭和」とは直接関係ない。つづく

プロローグ

一本松  陸前高田  2012.7.15
                      一本松  陸前高田  2012.7.15

原発事故、何ということをしでかしたものだ
唯一の原爆被爆国が何の反省もなく何と馬鹿なことをやったものだ
これは明らかに人災だ



原発事故難民が約10万人
国土の一部を失った
参戦・敗戦に次ぐ大失政・大過失・国辱である

真摯に謙虚に評価すれば原発事故を防ぐに十分な叡知の蓄積があった
日本書紀、三代実録、地域の記憶、吉村昭、それから大学の研究等々

利権と驕りと怠慢により、結論ありきで先人達の叡知を無視し、国家百年の計を誤った
利権は法に守られるからマフィアや暴力団より質(たち)が悪い犯罪と知るべきである
こんなにひどいことをしても犯罪者がいないのだ
 
敗戦では憲法を改めた
それに匹敵する国の改革が必要である
まず、利権にまみれ、驕り昂る官僚制度の破壊が必要である


諏訪根自子 1

諏訪根自子

諏訪根自子 昭和14年 19 歳でパリ楽壇デビュー(サル・ド・ショパンにて)
右の写真はパリにおける恩師カメンスキー夫妻と (パリでは夫妻の家に居住)

  

 「美貌なれ昭和」 諏訪根自子と神風号の男たち 深田祐介
  (1983年10月30日刊 11月20日初版第1刷 購入) を読み返した。

諏訪根自子;大正9(1920)年1月23日~平成24(2012)年3月6日
        逝去が報じられたのは平成24年9月24日(亨年92歳)
飯沼正明 ;大正元年(1912)8月2日~昭和16年(1941年)12月11日

 同郷出身の大学の同窓生と会った。先輩が2名、同年卒1名、後輩2名、出席者合計6名。談論に丁度良い人数である。郷里の先人達に話が及ぶのは自然のなり行きであろう。話題が豊富な先輩の佐々木氏から、最近訃報が報じられた諏訪根自子の話が出た。私は「美貌なれ昭和」という諏訪根自子と飛行機乗りの小説を読んだことがあるのを思い出した。30年ほど前のことになる。後輩の佐藤氏の「百名山」を征した話の後であったこともあり、作者の名前が「深田…久弥…?」、名前の方が出てこないというより、深田という姓まで思い違いと錯覚する始末であった。作者は「アテンションプリーズ」の「深田祐介」である。

 諏訪根自子は庄内出身の両親が東京に出てから生まれたが、母親の諏訪滝は酒田女学校出身で声楽家を志すほど音楽に傾倒した人である。父順次郎は有島武郎など白樺派の作家、芸術家と親しく、クラシックレコードが当たり前にある家庭環境であった。根自子はカルーソー(テノール)、エルマン(ヴァイオリン)、ジンバリス(ヴァイオリン)などを胎教として聴き、また生まれてからも聴いたことになる。根自子がレコードに敏感に反応し、童謡を教えると音程、リズムをしっかりと歌いこなすのを発見して、滝は満3歳の根自子にヴァイオリンを習わせる。小野アンナ、白系ロシア人アレキサンドル・モギレフスキー二人の巨匠に師事し、11歳のとき「天才少女」と新聞に紹介されるにいたる。この二人のロシア人の巨匠の来日・在住は奇跡といわれるがロシア革命という政変による。


「武相荘」所感

武相荘  武相荘

「武相荘」所感

 先日、「武相荘」(ぶあいそう)へ行って来た。御存じのように、白洲次郎・正子夫妻の邸跡である。武蔵国と相模国の境界に位置することから命名されたが、「不愛想」と掛けている。もともと農家だったから、私にはどこか懐かしい感じがした。以前、白洲次郎主役のドラマがNHKから放映されたが、そのときNHKが輸入し撮影に用いたクラシックカーも置いてあった。

 今、「負けて、勝つ」という吉田茂のドラマをNHKが放映している。先週、白洲次郎と服部卓四郎のにらみ合いの場面があった。終戦後、服部が警察予備隊の幕僚長に任じられる予定だったが吉田茂首相の反対にあい実現しなかった。その顛末の一場面である。因みに、服部(山形県出身)は、荘内中学、仙台・中央陸軍幼年学校、陸士、陸大と全て石原莞爾と同じルートをたどったが、愚将とされる。吉田栄作の服部卓四郎はこのドラマで一番のはまり役かも知れない。迫力があった。
 
 マッカーサーにとって、朝鮮戦争は共産主義の脅威からの防衛であった。ドラマで、来日したダレスが赤い花は嫌いだと取り替えさせるが、マッカーサーも同じ思いであったと思われる。ソビエトが北海道の分割を要求したとき、大統領に相談せず俺の独断で阻止すると応じたという。副大統領から昇格し、半ば独断的に原爆投下を決めたトルーマン大統領を信じきれなかったようだ。また、朝鮮戦争の実体験から、日本はソビエト=共産主義の南下を食い止めるため緩衝地帯として満洲国を建国したと米国議会で演説した。ドラマを見ながら、日本の共産化、南北分割の恐怖に思いが至ったが、多く人に共感してもらえるとはとても思えない
  

東日本大震災の復興予算の使われ方


復興予算;5年間で19兆円
 ・緊急的予算;1次補正;4.0兆円 2次補正;1.9兆円
 ・生活再建のための本格的復興予算;3次補正;9.2兆円
 ・今年度(未定、残);3.8兆円

 今、NHKスペシャル 東日本大震災 「追跡 復興予算19兆円」 に端を発した出鱈目な予算の使い方に全マスコミが集中砲火を浴びせている。官僚達は省益を優先し、節税の考えのかけらも持ち合わせていないことはもちろん、国家が1000兆円の借金を背負っていることさえ知らないのではないか。復興は進んでいない。お金は一体どこに使われているのか。しかし、ここでは、まず、どんな増税だったのかを冷静に思い起こすことにする。それだけで十分に腹が立つ。

19兆円のうち約10兆円を増税でまかなう
  復興増税(復興財源確保法;2011年11月30日可決) 
 ・所得税;所得税額の2.1%上乗せ 2012年1月~2037年12月(25年間)
 ・個人住民税;
   均等割額を年1000円引き上げ5000円とする;2014年6月~2024年5月(10年間)
   退職所得に係る個人住民税の10%控除を廃止する;2013年1月~
 ・法人税;法人税率を30%から25.5%(中小法人については18%から15%)へ引き下げた上で、税額の10%上積み(実質ほぼ増税なし);2012年4月~2015年3月(3年間)

 ※均等割額とは;住民税の基本料金部分。一律の額(市町村民税3000円、道府県民税1000円)が課税される。原則的には全員が納めるべきもので、納税弱者でも課税対象だが、例えば、未成年者、寡婦(寡夫)、障害者に該当するもので合計所得金額が125万円以下である場合などは課税されない。

 「東日本大震災からの復興の基本方針」
  (平成23年7月29日 東日本大震災復興対策本部)の文言
 「被災地域における社会経済の再生及び生活の再建、…、豊かで活力ある日本全体の再生…、」この「豊かで活力ある日本全体の再生」なる文言を忍ばせ、予算を省益に合うよう誘導できるように仕組んだ。情けないのは政治家もマスコミもこの犯罪的文言に気づかなかったことである。この文言を削除せよ。予算の執行停止・抑制のニュースもあるが、しっかりとチェックを継続したい。

 ほぼ増税なしの法人税を除けばまさに血税だ。 <日本人よ!もっと怒れ!!>

 政府説明;(臨時増税は)復興予算を現役世代で負担し、将来にツケを回さないため。 <政府よ!官僚をチャンと管理せよ!遠慮はいらない!>

 東京新聞;4半世紀も続く増税だ。政府がきっちり復興に使っているか、常にチェックを続けたい。 <まさにその通り。先見の明あり。>

貞観津波の規模

10月14日のNHKニュース

(独立行政法人)産業技術総合研究所の震災後の調査により、貞観地震の規模はマグニチュード8.7かそれ以上とこれまでの8.3~8.4より上回る可能性があることが示された。今回の津波は仙台市若林地区で海岸から3キロメートル付近まで津波堆積物が見つかったが、1.8倍の6キロメートル近くまで津波が到達した。この調査をもとに貞観津波の規模を新たに分析した結果、マグニチュード8.7前後かそれ以上になるという結果がまとまった。

津波は海底、海岸付近では巨岩を動かすほどのエネルギーを持つが、海岸から遡上するに従い徐々にエネルギーを失い、砂利、砂などが沈降し、その後も遡上が継続するのであろう。これを実地に調査したデータから修正したのは重要であると思われる。


映画 「あなたへ」

 映画「あなたへ」を観た。<平川一臣in宮沢賢治の音楽会> で紹介したインターネットの「星めぐりの歌」を映画のストーリーの中で聴きたかったからである。田中裕子が童謡歌手として「星めぐりの歌」を2回歌っている。1回は竹田城跡、1回は刑務所内。

 高倉健演ずる北陸の刑務所に勤務する技官が、亡くなった妻(田中裕子)の故郷長崎県平戸まで車で旅する物語。風景の中で個性的な名優たちが演ずる人々と出会いながら旅が続く。ビートたけし、草なぎ剛、佐藤浩市、余貴美子、大滝秀治、綾瀬はるか、・・・。それぞれの俳優がそれぞれの味を出している。 
 
 この映画は大滝秀治の最後の作品となった(10月2日没 亨年87歳)。共演した高倉健は「あの芝居を間近でみて、あの芝居の相手でいられただけで、この映画に出て良かったと思ったくらい、僕はドキッとしたよ。あの大滝さんのセリフの中に、監督の思いも、脚本家の思いも、みんなはいっているんですよね」

 シネコンの音響効果の中で聴く宮沢賢治に満足した。下世話な話になるが、この歌は、夫の沢田研二よりも沢田研二の前妻伊藤エミ(ザ・ピーナッツ)よりも、田中裕子がふさわしい。ほかに誰がこの歌にふさわしいか? ソプラノ歌手森麻季に思い当たった。彼女が歌う「花は咲く」(NHK東日本大震災プロジェクトのテーマソング)が素晴らしいから連想したようだ。今、宇宙旅行で話題の英国のソプラノ歌手サラ・ブライトマンもいいと思う。NHKドラマ「坂の上の雲」の主題歌がよかったから。

 プログラムを覗いて気がついたこと。岩手県を代表する詩人・作家宮沢賢治。その通りである。花巻であり、岩手県であり、イーハトーブであるから、賢治は、私にって日本を宇宙を代表する巨人である。


吉村昭 1の補遺


 「関東大震災」

 〈特記事項2〉 本所の被服廠跡の広い土地に4万人が逃げ込み、そこで3万8千人が亡くなった。大八車に家財を積んで逃げた人が多く、火災の熱で引火して燃える家財の山に挟まれて焼死した。また、その場所が熱上昇流の中心になり、周囲から熱風が吹き込んだが、人が宙に舞い上がるほど強烈であった。東京府の死者約7万人のうち3万8千人がこの場所で焼死した。
 
 江戸は火事が多かったが、奉行所は「おふれ」を出していた。大八車で荷物を持って外に出るものは召し取る。また大八車の持ち主も獄に投ずる。この江戸時代の教訓が生かされなかったのだ。

 燃えやすいのでリュックサックも危ない。何も持たないのが良い。良く食料を蓄えておけといいますが、逃げた人に聞くと、翌日の朝ちゃんと炊き出しのおかゆを食べている。


 〈筆者の意見〉 貯金通帳などの非常持ち出しは否定できない。飲料と防火を兼ねて水とセットにして持ち出す。家に食料を備蓄することは風呂に水を入れて置くのと同様重要である。住宅密集地都会と田舎では対応が異なると思われる。



吉村昭 2

吉村昭2

 吉村昭の地震・津波に関する3つ目の著作は

 「落日の宴・勘定奉行川路聖謨」 1996年4月刊
 安政の大津波  1854年(嘉永7年)11月4日 M8.4

 吉村昭がもっとも心動かされる人物を書いたこの歴史長編の中に、ロシア提督プチャーチンと交渉中に襲来した安政の大津波のことが詳細に記述されている。プチャーチンの船ディアナ号も被災し、後、回送中に沈没する。

 徳川幕府は鎖国の立前から食料・物資などは無償供給した。ロシア側から被災した傷病者を手当する申し出もあり、厳しい折衝ではあったが、川路聖謨(かわじとしあきら)(徳川幕府)とプチャーチン双方に互いに尊敬の念が生まれた。ロシア側歴史資料で川路聖謨は尊敬されているという。

 このとき結ばれた条約が日本国露西亜国通好条約(1855年、別称;日露通好条約、日露和親条約、下田条約)である。

 現在の北方4島問題の日本の主張は、このとき決められた国境に基づく。今、ロシアは共産主義国家ではないし、資源立国から脱しようとしている。日本の技術が欲しいのである。プチャーチンと語呂が似ている独裁者プーチンとの交渉は日本にとってまたとないチャンスであろう。

 国家間外交も結局は人間対人間の交渉である。俯いてもエバっても駄目である。外交交渉は川路聖謨を模範とし、真摯に、凛として格調高く、ときに臨機応変な妥協も必要であろう。
 

 真摯に謙虚に評価すれば原発事故を防ぐに十分な叡知の蓄積があった(プロローグの一節)

 この真摯という言葉の重要性について、私はAKB48前田敦子(当時)に教わった。映画「もしドラ」(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら)を観たからである。学ぶことができない資質、後天的には獲得することができない資質、始めから身につけていなければならない資質がひとつだけある。才能ではない。真摯さである(マネジメント(ドラッガー))。

 国の組織、東京電力にこの真摯さという資質が欠けていたから原発事故は起きたのではないか。折角の進言・提案を無視し門前払いし続けたのは真摯さに欠けていたからに他ならない。純粋に競争にさらされる民間企業なら真摯さがなければ潰れてしまう。上級レベルの国家公務員ほど「真摯」さという採用基準が必要なのではないだろうか。 


 以上


吉村昭 1


 プロローグの詩の4、5行目
 
 真摯に謙虚に評価すれば原発事故を防ぐに十分な叡知の蓄積があった
 日本書紀、三代実録、地域の記憶、吉村昭、それから大学の研究等々


 日本の叡知として、作家吉村昭を他の4つと並列に書いた。吉村昭は被災地生存者の体験談を収集し、埋もれた資料を発掘することで、地域の記憶を掘り起こし、事実をそのまま淡々と書いた。

 吉村昭の地震・津波に関する著作は

 「三陸海岸大津波 (「海の壁」を改題) 1970年7月刊
1896年(明治29年) M(マグニチュード)8.2~8.5 死者行方不明;約2万2千人、
1933年(昭和8年)  M8.1 死者行方不明;3,064人
1960年(昭和35年)(チリ地震津波) M9.5 死者行方不明;  142人


 「関東大震災」 1973年8月刊
1923年(大正12年)9月1日11時58分  M7・9 
死者・行方不明計;10万5,385人 東京府;7万387人。
関東大震災は火災による大災害である。

 <特記事項> 火災(発火)の原因は、定説(俗説)では、昼食の準備をしている時間帯に大震災が起きたので七輪など炊事の火が発火原因とされる。しかし、調査によると工場、学校、薬品会社などの薬品の落下が主な原因であるという。調理の火が原因なのは天ぷら屋の1件のみらしい。
 

 つづく


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 辻 幸弥 (つじこうや)

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