『明治維新という過ち』 という著作

『明治維新という過ち』
という本を読んだ。著者の「原田伊織」氏と私には共通点がある。

致道館_5_-_コピー[1] 致道館 鶴岡市

私は徳川四天王の譜代大名左衛門尉酒井家のお膝元庄内出身で庄内藩の伝統を多少なりとも受け継ぐ鶴岡の名門校といわれる高校を卒業した。在学中、同窓会長は酒井家当主であった。庄内藩には致道館という藩校がありその名を冠していなかったが、同じ山形県内の藩校を冠した米澤興譲館高校を羨ましいと感じたこともある。

著者「原田」氏は京都生まれだが、彦根市で育ち彦根藩の藩校を冠する弘道館高校を卒業したという。彦根(佐和山)藩は言うまでもなく同じく徳川四天王譜代大名である井伊家の版図であった。(今、NHK大河ドラマの舞台である。楽しみにしている。)


私は徳川家にゆかりが深い藩出身であるからこそ、明治維新と言われる歴史を詳細に検討し、薩長藩閥権力による明治維新の歴史は捏造されていると結論している。原田氏は小説家であるが発端は似ているように思われる。

私は戊辰戦争勃発を糸口として経緯を大局的に調べ、薩長藩閥政府は「戦(いくさ)の遺伝子」を持ち、明治以来の征韓論、日清戦争、日露戦争、満州事変、日華事変、太平洋戦争はその遺伝子によるものだと結論している。そのキーワードは、赤報隊、世良修蔵、二本松・会津戦争の残忍さ、明治憲法、皇室典範、廃仏毀釈などである。


私は薩長藩閥明治政府を「戦の遺伝子」を持つと表現しているが、原田氏は吉田松陰はじめ長州の勤皇攘夷の志士たちを「テロ集団」と呼んでいる。

司馬遼太郎の昭和に入り日本は情けなくなったという歴史観間違いで、「戦の遺伝子」は明治憲法、皇室典範そのものに内在し、それは薩長藩閥明治新政府が本源的に持つ遺伝子であり、明治以来のあらゆる戦争はそれに原因があるというのが私が到達した結論である。


※右リンク欄の【戊辰戦争】最強軍団【庄内藩】をクリックして庄内藩の説明動画を見てください。

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天武天皇から神武天皇へ遡る

Emperor_Tenmu[1]  天武天皇

天武天皇から神武天皇へ遡る  

卑弥呼と古代天皇(2015年12月1日)と題し
神武天皇より前の時代の卑弥呼より神武天皇の即位年を推定した。
それによると、神武天皇の即位は西暦288〜289年、現在(2015年)から1726〜1727年前であった。

逆に日本書紀、古事記の編纂事業を始めた天武天皇の時代から遡る計算をすると
天武天皇:第40代天皇、在位は673年3月20日から686年10月1日。
天武天皇が即位した、673年より10.2×38=388年前に神武天皇即位 → 673-388=西暦285年
(数ヶ月在位とされる弘文天皇を計算せず39代として計算。係数10.2年は「古代天皇と卑弥呼」(2015年11月25日)参照

卑弥呼より計算:西暦288〜289年、天武天皇より計算:西暦285年、二つは非常に良い一致を示すから神武天皇の就位期間を3世紀後半から4世紀初めとするのは妥当と認められる。


<付録>
今年(西暦2016年)は神武天皇二千六百年式年祭、すなわち初代の神武天皇がなくなられたと伝えられる年から2600年目にあたるという。
紀元二千六百年は昭和15年(西暦1940年)であるが、神武天皇が即位されてから2600年ということ。神武天皇は76年間在位したことになる。因みに前にも述べたが神武天皇は137歳まで生きたと伝えられる。

歴史学者「坂本太郎」(東大教授)は、古代天皇の年齢が不自然なのは、作りごとをせず、架空の天皇を増やさなかったためだと言っている。この発言は神武天皇治世の時代を3世記末から4世紀初めとする本説を支持する。

神武紀元は、本稿で述べた神武即位年より940〜950年遡る。


日本現代史の大局的一視点 追補

c4c9302e7275be7e80f915052f46b4a29c8be923[1]  日露戦争
  欧米の代理戦争の一面があった。 多額の外債が可能だったのはその証左?


日本現代史の大局的一視点 追補
 前項を前提に追補する。

明治以来、日本は一貫して大陸(清国、ロシア、ソ連)からの脅威、共産主義化、社会主義化を脅威としてきた。しかし、肝心なときに、その初心・基本戦略を忘れる愚を犯してきたのではないか?


日清戦争:
外務大臣陸奥宗光 「元来日本国の宣言するところにては、今回の戦争はその意全く 朝鮮をして独立国たらしめんにあり」。 日本は朝鮮の独立を清に認めさせ、清から領土(遼東半島・台湾・澎湖列島)と多額の賠償金などを得ることになった。三国(ロシア・フランス・ドイツ)干渉で遼東半島返還を受け入れるも、賠償金で軍備を拡張した。


三国干渉があったとはいえ、国家の出発点として調子に乗り過ぎる要因として作用したのではないだろうか?


日露戦争:対アメリカ
桂・ハリマン協定;アメリカはポーツマス条約の仲介により、満洲に進出することを企て、ロシアから日本が譲渡された東清鉄道支線を日米合弁で経営する予定を桂内閣と成立させた(1905年10月12日)。アメリカの鉄道王ハリマンを参画させるというものであった。この協定はポーツマスから帰った小村外相の反対により破棄された。

① 日本へ外債や講和で協力したアメリカ はその後も中国進出を意図したが、日英露三国により中国権益から締め出されてしまった。歴史的に俯瞰すれば、ロシアの南下政策を恐れていた初心を貫くには、アメリカ・ハリマンを参画させることが最良の戦略であった。それにより、その後の満州事変も、日中戦争も、ひいては、太平洋戦争もなかったであろう。

桂太郎首相や元老の方が小村寿太郎外相より戦略眼があったということになる。
すなわち、東大出の官僚より、明治維新をくぐり抜けた元老の方が広い視野を持っていた。



満州事変
② リットン調査団 のリットン報告書は日本に不利な面ばかりでなく日本の立場も考慮されていたものであった。これを受け入れ、国際連盟脱退はさけるべきであった。
満州国建国 後、日中戦争に突入したのは戦略上の大きな間違いであった。


<コメント>
①②③は戦略的分岐点であったが、全ての選択を間違えた。

①を選択すればアメリカとの太平洋戦争はなかったであろう。
  満州事変もなかっただろうから最も重要な選択肢である。
②で日本は国際的に孤立した。
③を選択しなければ、第二次世界大戦の泥沼に入ることを避けられた可能性がある。
  石原莞爾はやはり戦略的天才であった。

現在、大陸共産主義からの脅威はこれまで以上に大きくなっている。
①②③の分岐点全てで誤った選択をしたからである。



日本現代史の大局的一視点

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日本現代史の大局的一視点

明治維新:1868年(明治元年)

日清戦争:1894年7月〜1895年3月(明治27年〜28年);主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争。清国戦艦「定遠」が、1886年(明治19年)に示威を兼ねて訪日した。その強大さと船員の乱行(長崎事件)から日本社会にとって大きな脅威として受け止められた。

日露戦争:1904年2月8日〜1905年9月5日(明治37年〜明治38年);大日本帝国とロシア帝国との間で、朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と日本海を主戦場とした。1905年9月5日にアメリカ合衆国の仲介で締結されたポーツマス条約により講和。


第一次世界大戦1914年〜1918年(大正3年〜7年);人類史上最初の世界大戦。日本は日英同盟に基づき連合国陣営に加わり参戦。青島・南洋諸島の独領に参戦。ヨーロッパ戦線への陸軍派遣要請は拒否。など。

ロシア革命1917年;第一次世界大戦中のロシアで起きた革命。ロマノフ王朝による帝政が崩壊し(二月革命)、史上初の社会主義国家が樹立された(十月革命)。


満洲事変1931年9月18日(昭和6年)〜;ロシア革命政権は、三国干渉により日本が返した旅順、大連などの地域を租借し、南下政策で満州地域を支配していく。危機を感じた関東軍参謀石原莞爾等が起こした事変。柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した事に端を発し、満州全土を占領した。日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。

ABCD包囲網1930年代後半:日本に対して行った貿易の制限。「ABCD」とは、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、オランダ(Dutch)と、中華民国(China)の頭文字を並べたもの。アジア諸国は欧米諸国の植民地であったから、石油などの資源が独占され、輸入できない状況にあった。

日中戦争1937年〜1945年(昭和12年〜昭和20年):大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争。

第2次世界大戦:1939年〜1945年;ドイツ、日本、イタリアの三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ、および中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻とソ連軍による侵攻、仏英による対独宣戦布告とともにヨーロッパ戦争として始まり、
太平洋戦争1941年12月8日〜の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争とな
った。

朝鮮戦争1950年6月25日〜1953年7月27日;朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が38度線を越えて侵攻したことにより勃発した。西側自由主義陣営諸国と中華人民共和国が参戦した。中朝連合軍と国連軍は休戦協定に署名し現在休戦状態で終戦に至っていない。


<コメント>
明治以来、日本は一貫してロシア(ソヴィエト連邦)、共産主義化、社会主義化を脅威としてきた。

この視点から外れていることが二つある。
日中戦争:前に「盧溝橋事件」について書いた(2015.7.27)が、毛沢東中国共産党勢力あるいはコミンテルンの情報戦の誘いに乗せられ中国国民党軍と戦った。石原莞爾は終始反対したが、武藤章などの軍部が巧妙心にはやり乗せられてしまった。今、歴史の視点に立てば、石原莞爾は戦略の天才で、中国を共産化させた武藤章等は凡才・芋であることが良く分かる。(米ルーズベルト大統領も芋である。アメリカも中国の共産化に手を貸した。)

太平洋戦争:アメリカの行政機関にロシア共産党のスパイが潜入し、ルーズベルト大統領以下がその影響を受け(容共的と批判されている)、日本を敵にした。マッカーサーが朝鮮戦争を戦ったとき、何故日本が満州、朝鮮半島にこだわったかを体験的に理解した。すなわち、日本は自衛戦争を戦ったことに気がついた。

③アメリカと日本のとるべき戦略は共通で、満州、朝鮮半島、日本列島を共産主義からの防共壁にすることであった。



日本国内には共産主義・マルクス主義への憧憬を持つ勢力が多い。第二次世界大戦敗戦後も「進歩的文化人」や朝日新聞などマスコミ・メディアの勢力は親マルクス主義の方が強いとさえ思われる。共産党はもちろんであるが、社会党、民主党のみならず自民党の国会議員にさえ(隠れ)マルクス主義者がいる。共産主義者でなければ右翼という間違った基準が日本にはあるような気さえする。

私は断固として共産主義者・マルキストではない。中道だと思っているが日本の一般的基準には中道があるのかなぁ〜?


卑弥呼と古代天皇 西暦表示

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  八咫烏に導かれる神武天皇(安達吟光画)

卑弥呼と古代天皇 西暦表示
歴史年代は数列が連続的な故に西暦表示が、和暦より、歴史の流れが分かりやすい。
前節の卑弥呼=天照大御神と神武天皇の時代を西暦表示すると以下のようになる。

西暦247年あるいは248年頃(3世紀中頃) 卑弥呼死去
魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
天文学者の斎藤国治は、248年9月5日朝(日本時間。世界時では9月4日)に北部九州で皆既日食が起こったことを求め、これが卑弥呼の死に関係すると唱えた。井沢元彦もこの説を支持している。橘高章と安本美典は、247年3月24日夕方にも北部九州で皆既日食が起こったことを指摘し、247年の日食が原因で卑弥呼が殺され、248年の日食が原因で男王に代わり壹与が即位したと唱えた。これらの説は、邪馬台国北九州説や卑弥呼・天照大神説と密接に結びついている(ただし不可分ではない)。


卑弥呼に関する中国歴史書の記述
239年(景初三年) - 卑弥呼、初めて難升米らを中国の魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられる(『三国志』では同二年(238年))。
240年(正始元年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
243年(正始四年) - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
245年(正始六年) - 難升米に黄旗を仮授与(帯方郡に付託)。
247」年(正始八年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、黄旗を授与。
248年(正始九年)頃あるいはその前後 日本列島で皆既日食。(247年3月24日日没)
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 – 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
日本列島で皆既日食。(248年9月5日日出)


神武天皇
五代前に当たるのが天照大神=卑弥呼。前ブログの一代=10.2年を適用すると、10.2×4=40.8年前
西暦288〜289年(=西暦247〜248+41)に神武天皇が皇位に就いた。
現在(2015年)から1726〜1727年前に就位したことになる。
神武天皇は3世紀末に就位し、その治世は3世紀末から4世紀初頭に及んだ可能性がある。


<コメント>
天照大御神」の「天の岩戸神話」は「卑弥呼」の時代の「日食」に比定されるが、それは真実であろう。

かつて、皇紀、神武天皇即位紀元、神武紀元 と言い、神武天皇(初代天皇)が即位した紀元前660年を元年としたが、それほど日本の歴史は長くないようである。

ただし、縄文、弥生時代の遺跡は豊富だから、遺跡から遡れる歴史は永い。これらの時代、先祖は喰いつなぐだけで苦労したとは思われるが、意外にも豊穣な一面もあったようである。
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 辻 幸弥 (つじこうや)

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