ボブ・ディラン氏の受賞とノーベル賞

ボブ・ディラン氏の受賞とノーベル賞

ボブ・ディランの受賞
ボブ・ディランの受賞を聞いたとき、私は同賞選考員会スウェーデン・アカデミーの柔軟さに感嘆した。賛辞を贈りたい。

文学の原点を考えるとき、自ずから私は歴史を思い出す。ホーマーの叙事詩、ギリシャ劇、英雄シーザーの戦記、中国の歴史書などなど。日本では万葉の詩人、柿本人麻呂、山部赤人、源氏物語、方丈記、平家物語など。吟遊詩人は世界各地にあまねく色々な形で存在した。万葉、平家物語などもそうであったように、文学と音楽は人類文化の歴史上深い関係を保って来た。シンガーソングライターはその歴史の継承者だと思うが、世界に遍く存在し、記録・通信などの文明の利器を通して現在はその最盛期であるように思われる。

その代表がボブ・ディラン氏なのだと思う。上述のように文学賞の範疇にあることは理路整然としている。


1401x788-GettyImages-74269254[1]   ボブ・ディラン 

ノーベル賞について
シンガー・ソングライターのボブ・ディラン(Bob Dylan)氏(75)が受賞決定について沈黙を続けていることについて、同賞の選考委員会であるスウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)の一員が、ディラン氏は傲慢だと非難した。
ディラン氏 は、授賞を伝えるスウェーデン・アカデミーからの再三の電話に応じず、受賞決定に関して公の場でコメントもしていない。

以下に示すようにノーベル賞は偉大な賞である。しかし、賞は基本的にはもらっていただくものだと思う。だから、選考員会はディラン氏に人を派遣して直接伝えるべきである。また呼びつけて渡すものでもないと思われる。直接行って会って賞を渡すべきであることが本質である。受賞会場に来なければ是非実行して欲しい。

傲慢なのは一選考委員だけであって、ノーベル賞が傲慢なものでないことを祈る


※ノーベル賞は何故偉大か?
前にも書いたがノーベル賞はなぜ偉大なのか。ノーベルがノーベル財団がその選考委員会が偉大なのではない。受賞者が偉大なのである偉大な受賞者を選んだ選考委員会も偉大だということにもなるが、平和賞や文学賞の選考結果は必ずしも偉大な選考ではないと思う。科学系の選考は基準を明確にし易いことから、偉大だと言ってもよいと思われる。だからノーベル賞の偉大さは科学系にある。

韓国は「金大中」が平和賞を受賞しただけで、科学系の受賞者がいない。科学系の受賞者が出ることを渇望しているニュースが毎年伝わってくるが、良くその価値を知っているからと言える。


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ノーベル賞と日本 2

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                                  浮田幸吉物語 長編小説 『始祖鳥記』 (飯嶋和一作)
ノーベル賞と日本 2

浮田幸吉 続き
浮田幸吉物語 長編小説 『始祖鳥記』 飯嶋和一作 
   2000年に小学館より刊行  2002年に小学館文庫で文庫化(ISBN 978-4094033113)
同時代の雷電為衛門を描いた『雷電本紀』と並列して書いている。双方ともに非常に面白い傑作小説。雷電は頭脳明晰で知恵のある類い稀な人物であった。

飯嶋和一;山形県生まれ
受賞歴 1983年小説現代新人賞 1988年第25回文藝賞 
2000年 『始祖鳥記』 第6回中山義秀文学賞  2008年第35回大佛次郎賞。


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                                                二宮忠八のカラス型模型飛行器

二宮 忠八(にのみや ちゅうはち、慶応2年6月9日(1866年7月20日)- 1936年(昭和11年)4月8日)
明治時代の航空機研究者。伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身


陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年1890年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。ライト兄弟の成功後、軍幹部が二宮中八に謝罪したと伝えられる。

なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。


為政者、権力、民衆の対応
浜田幸吉は権力・為政者に邪魔にされた。藩を放逐され、後年は処刑されたという噂さえある。民衆も空を飛ぶことに畏敬の念から、『鵺(ぬえ)』と恐れおののき、気味悪さから反発したと『始祖鳥記』は描く。


二宮 忠八は軍幹部の無理解が原因で世界初をライト兄弟に譲った。『レーダー』の開発実用化など、類似したことは日本の技術開発には多い。

関孝和は和算・数学の世界で自分の頭脳で完結するので邪魔はされていない。和算は一般大衆でもブームであった。その業績はヨーロッパに先んじている部分もある。 数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞には当然該当して余りあるだろう。

飛行機の発明でノーベル賞受賞があるとしたら
滑空機(グライダー)と動力付飛行機の発明者2名に与えられるであろう。
リリエンタールとライト兄弟の可能性があったとしても、浜田幸吉と二宮忠八はそれに先んじていた。
現在、日本人のノーベル賞受賞者が多いのはこれらの先人の才能を受け継いでいるからであろう。
湯川秀樹以前の明治末、大正、昭和時代にも数え上げるべき人材は多い。



ノーベル賞と日本

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                                           浜田幸吉の滑空機(グライダー) 『始祖鳥』
ノーベル賞と日本 1

最近、日本人のノーベル賞受賞者が多く、特に理系の受賞者が多いことが、同じ日本人として誇らしい。
ノーベル賞で価値があるのは、理系の物理学賞、化学賞、医学生理学賞であると思う。
最近の経済学賞は、イデオロギー、思想とは縁が薄いようなので、理系と同様に価値があるだろう。
文学賞、平和賞、特に平和賞は、思想、イデオロギー、政治、国家の影響を受けるので、価値を感じない。

近年、日本人のノーベル賞受賞が決まると、江戸〜明治時代の天才たちを連想する。
関孝和、浮田幸吉、二宮忠八の3名について、自分の知識を以下に簡単に整理したい。



関孝和  和算の大家  江戸時代初期
生年は寛永12(1635年)- 20年(1643年)の間 〜 宝永5年10月24日(1708年12月5日)死去。

西洋の発展とは独立に、○世界で最も早い行列式の概念樹立  ○131072角形を使って円周率、小数第11位まで算出3.14159265359微弱」 ○エイトケンのΔ2乗加速法を世界で最初の適用、円周率を小数点以下第16位まで正確に求めている。西洋でエイトケンのΔ2乗加速法が再発見されたのは1876年、約200年後である。 ○ヤコブ・ベルヌーイより1年早くベルヌーイ数を発見していた。 ○二項係数 ○方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、求長・求積に関する業績を挙げている。アイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツよりも前に微分積分学を創始したと語られることがある。

算聖とあがめられた。明治以後も日本数学史上最高の英雄的人物とされた。
上毛かるたに「和算の大家 関孝和」と詠われている。



浮田幸吉  江戸時代中〜後期
浮田幸吉(うきた こうきち、1757年(宝暦7年)- 1847年(弘化4年)?)は、日本で初めて空を飛んだとされる。
鳥人幸吉、表具師幸吉、表具屋幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)とも呼ばれる。

「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出し人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずである」と結論づけた。
表具師の技術を応用し、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。試作を繰り返し1785年(天明5年)夏、京橋の欄干から飛び上がった。即座に岡山藩士によって取り押さえられた。時の藩主池田治政により岡山所払いとされた。

1849年のジョージ・ケイリーのグライダーによる有人滑空実験よりも60年以上早い
熱気球による有人飛行は幸吉の飛行の2年前の1783年11月に達成されている。

晩年、駿府で再び空を飛んで騒乱の罪で死罪となったとも、遠江国見附(現在の静岡県磐田市)に移り妻子を得て平穏な余生を送り、1847年(弘化4年)に91年の長寿を全うし死去したとも伝えられる。

                                                                  つづく

発明の対価と日本の経営者

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                                                              中村修二氏
発明の対価と日本の経営者

2014ノーベル物理学賞受賞が決まった中村修二氏が、今、日本に来ている。

中村氏は2001年、「青色LED発明の対価」を求め日亜化学工業を提訴した。
提訴のきっかけは、私の記憶によると、中村氏が米国サンタバーバラ校教授になったこと自体が日亜化学の特許漏洩問題だということに頭にきた中村氏が提訴に踏み切ったということであった。因みに「職務発明」のこの種の提訴は珍しいものではないが、大発明に対する金額の大きさで話題になった。


東京地裁の2004年1月の判決は「産業界待望の世界的発明を独力で成し遂げた」とし、総利益約1200億円余の半分を中村氏の貢献と認め「発明の対価」を約604億円と算定。ただ請求額が200億円だったため、言い渡された支払い命令額は200億円」だった。日亜化学が東京高裁に控訴し、8億4391万円を支払うことで2005年1月に和解が成立した。

「おねだり」好きな経済界(経団連)は、現行法で発明者である従業員に帰属している「職務発明」の特許を受ける権利を法人帰属とすることを認めるよう安倍政権に「おねだり」している。経済界の言い分は、日本に開発拠点を置くと、海外に開発拠点を持つより競争に不利で国際競争力を削ぐなどとしている。


今の日本の経営者はリスクを冒さないというより、安全第一の「屁たれ集団」である。従業員に対する分配を減らし、自分の周りに資本を蓄え惰眠をむさぼり冬眠している。投資することなく安全運転だけを目指すので資本が回転せず利潤を生まない。官僚組織も無駄な省益に資本を使い日本の借金を増やし、資本の回転を妨げ、不況を誘引している。日銀は間違いだらけの運営をして日本企業を海外へ追い出したが、黒田総裁の登場までそれを自覚する能力すらなかった。

日本で能力があるのは、もの作りの職人、科学者、技術者である。経営者、官僚に、職人、科学者、技術者の足を引っ張る権利はないと知れ!!! 安倍政権はこれを理解せよ。理解できなければ第3の矢は失速し「アベノミクス」は失敗する。

日本の経営者の間では「特定の発明者にだけ巨額の報酬を与えるのはおかしい」という意見が多い。
「発明者は作曲家や作詞家と同じで、最も尊敬されるべき存在」である。これが世界の潮流である。
みんなでやりました。多くの社員の努力が実りました。これには悪平等な場合がありますよ。

ノーベル賞 独創性と科学的な価値

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       赤﨑 勇氏                天野 浩氏                  中村修二氏

ノーベル賞 独創性と科学的な価値

山中伸弥氏は2012年ノーベル医学生理学賞をケンブリッジ大学名誉教授ジョン・ガードン博士と二人で受賞した(2012年12月11日)。<←クリック> 受賞のとき、山中氏は「iPS細胞(万能細胞)という仕事単独では今回の受賞はなかったと思います。自分ではこれは便乗受賞だと思います」と謙虚だった。

今回の青色LEDの受賞でも天野浩氏は、「赤崎先生の受賞は当然。中村先生も、優れたデバイスの特性を学会で発表していたので当然。私が入っていることだけが、よくわかりません」「私はたぶん、平均的な日本人だと思う。こんなのでも取れたということで励みになると思う」と謙虚だ。

山中伸弥氏の関連研究の経過(2012年12月11日の写真参照)
1962年 生物学者ジョン・ガードン博士がアフリカツメガエル(両棲類)のクローンをつくりだした。
1997年 イアン・ウィルムット氏が羊のクローン(ドリー)をつくりだした(哺乳類初)。
2006年 山中教授は、臓器細胞の初期化に成功し、山中因子と呼ばれる4遺伝子を発表した。
この中で、哺乳類羊のクローン(ドリー)をつくりだしたイアン・ウィルムット氏はノーベル賞を受賞していない。
ノーベル賞レベルの独創性が認められなかったと思われる。

青色LED開発者のそれぞれの独創性
赤﨑 勇氏、天野 浩氏、中村修二氏3名がノーベル賞を受賞したが、3名それぞれに独創的で科学的な受賞理由があったから受賞した。一方、羊のクローン(ドリー)をつくりだしたイアン・ウィルムットが受賞できなったことは、ノーベル賞の本質を考えるうえで非常に興味があり参考になることである。
特許制度では工業製品化への到達という観点から中村修二氏の成果が勝訴したが、ノーベル賞は3名の独創性をそれぞれ認めている。その違いが面白いと思うし納得できる。


私は、山中伸弥氏と天野浩氏に謙虚さという日本人の美徳を感ずる。
一方、中村修二氏の科学者、研究者としての日本人離れした「自己主張」は昔から大好きで支持している


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 辻 幸弥 (つじこうや)

Author: 辻 幸弥 (つじこうや)
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