3.11(東日本大震災)から5年

3.11(東日本大震災)から5年
2016年3月11日で東日本大震災から5年になる。
東日本大震災は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波(平成三陸大津波)、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こった。

警察庁発表の死者、行方不明者数を以下に示す (2016年3月10日 時点)
       死亡     行方不明      計
合計   15,894     2,561    18,455  国内全体

岩手県  4,673     1,124     5,797
宮城県  9,541      1,236    10、777
福島県  1,613        197     1,810


陸前高田 オートキャンプ場・モビリアの仮設住宅DSC06903 (2)
俳優村上弘明氏 藤沢周平原作「腕におぼえあり」を好演してくれたことに感謝  NHKテレビ

3月11日のNHKテレビの特集番組に村上弘明氏が出ていた。NHKの藤沢周平原作「腕におぼえあり」を好演してくれたので、藤沢周平ファンとして感謝している俳優である。陸前高田の話題は仮設住宅、それもかつて私がボランテイアで行ったことがあるオートキャンプ場に設置された仮設住宅であった。彼がオートキャンプ場近くの出身であること、震災について繰り返し語っていることを私は知っている。

168戸のうち、現在は88戸が使われ、高田市は仮設の集約をしてゆくが、村上氏によるとオートキャンプ場は県有地であるため今後も継続して使われる仮設住宅であるという。オートキャンプ場は休業を継続すれば良いが、学校のグランドなどは子供たちに返す必要があるというようなことらしい。


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 陸前高田 オートキャンプ場・モビリア  NHKテレビ

ボランテイア活動 の思い出
東日本大震災被災地で、私が繰り返し行った場所は陸前高田である。
岩手県内で一関市から最も近く、しかも三陸海岸の街としては平坦地が広く(災害規模が大きいと推定した。被災具合はどこもひどく比較すべき状況ではなかったかも知れないが。)、高田松原で遊んだ記憶がある、などが理由である。復興のボランテイア活動の地を陸前高田に決め数回にわたって出かけた。

久しぶりでボランティアに行ったとき、ボランティアセンターは閉鎖直前で留守の担当者しかいなかった。それでも、折角だからと紹介されたのが、「ポスティング」という仕事であった。仮設住宅に色々な資料の配達(ポスティング)をなるべく長い時間をかけて住人の話し相手になりながらやって欲しいということであった。

場所は半島部にある陸前高田オートキャンプ場・モビリアに設置された仮設住宅であった。
私が出かけようとしたとき1台の車が入ってきて、私は呼び止められ、この方達と一緒に行ってくださいと言われた。30歳代の夫妻で、奥様の是非ボランテイア活動をしたいという希望で秋田を旅行してから来たという。

168戸をほぼ3等分割し、回ることにした。仕事に出掛け留守の仮設も多いし、話し込んだ家もあったが仕事は短い時間で終わってしまった。夫妻の旦那さんも私とほぼ同時に管理棟にかえって来た。奥さんは整体師の資格を持ち、訪問先で体を揉みほぐしながら回っているので、まだ1/3も回っていないとの連絡が旦那さんに入った。夕方までかかりそうだという。そこで私と旦那さんは開墾中の畑で作業することになった。被災地ではないのだが、仮設住宅もあるし、畑地として有効利用したいということのようだ。地中に大きな石が埋まっており、それを掘り起こし、一ヵ所に積み上げるのが仕事で楽ではない労働であった。

このポステイングには、整体師としての奥様の活躍こそ最も目的に適うものであろう。男二人が回った仮設住宅より、奥様が回った仮設の方が大分得したと思う。また、奥様のボランティア活動をしたいという願望もさぞかし満たされたことだろうと思い、私は今もそれを称賛している。


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防潮堤

防潮堤       濱口梧陵が構築した防潮堤 和歌山県広川町

東日本大震災から3年
2014年3月11日現在:死者15,884人、 行方不明者2,633人、 避難者数約267,000人


防潮堤

今、防潮堤が話題になっている。
私は自分が住民ならばまず防潮堤には基本的に反対である。海が見える景観が大切だからだ。
ただし、普代村、田老、山田、田野畑など先祖伝来繰り返し津波の経験をし、
その知恵の集積として防潮堤を築いているところは、この議論の対象ではない。

1, 000年に一度の大津波というが、
1,000年単位で考えたら海岸線なんてどのように変わるか知れたものではない。
温暖化、寒冷化どちらに向かうとしても海岸線は動くのだ。
この年代スケールでは守るべき海岸線などあやふやなのだ。
貝塚の分布一つをみても、防潮堤計画のスケールを越えているではないか。

1000年に一度の大津波に対策するのはバカ馬鹿莫迦げている
1000年に一度の大津波は「てんでんこ」に逃げるしかないのが基本だ。
「大船渡の奇跡」を奇跡にしない知恵こそ大事なのだ


この観点からは宮城県知事村井嘉浩の考えは間違っているし、住民が正しい
住民の意見の多くは計画の防潮堤は高すぎるから低くして欲しいというものだ。
被災地に生まれ育ち、被害を経験し、海の恩恵で生きてきた人々、の意見は傾聴に値する。
知事は税金で作るからからには中途半端な役に立たない防潮堤をつくるわけにはいかないという。

自衛隊出身というが、行政は上官が兵隊を命令で動かすようなわけにはいかない。
何が中途半端か、そうでないか、示すことも定義することもできないはずだ。
役に立つ防潮堤の定義を教えてほしいものだ。
行政とは住民の意見、意向に沿うもので、押し付けようというのは自惚れであり許せない行為である。

漁港(漁業権)についても、防潮堤についても、岩手県は行政の対応が宮城県より柔軟である。

たとえば陸前高田の高田松原があった海岸。私はここで遊んだことがある。
松原をもとへ戻したい、復旧させたいという思いが先に立つ。おそらく住民もそのように思うだろう。
松原をつくったらよい。その後ろまたは真ん中に土手を築く。これで景観は変わらない。 
土手は芝生と背丈の低い灌木林にする。地元の山の野生のつつじもいいだろう。


私が尊敬する東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授(52)は「防潮堤はコンクリートの壁という先入観があるが、景観や生活の中に位置づける案もある」と柔軟な対応を提案する。前案はこれに合致するものである。



稲むらの火
次の挿話より、「稲むらの火」は誰でも知っている話ではないようだ。

2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが、事実か?」と尋ねた。しかし、小泉はこの話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったということである。(少し小泉の悪口を言いたい気分なのでここにこの挿話を入れた(^^♪)

「稲むらの火」の話は省略する。モデルである濱口梧陵の防潮堤の話である。
濱口梧陵(儀兵衛)1820年(文政3年)紀伊国有田郡広村(現和歌山県有田郡広川町)に生れ、66歳で亡くなった。ヤマサ醤油 7代濱口儀兵衛である。ヤマサ醤油は紀州、銚子、江戸の海洋、河川交通を利用したスケールが大きい家業であった。


政治家として1868年(慶応4年、明治元年)には、商人身分ながら異例の抜擢を受けて紀州藩勘定奉行(のちの出納長に相当)に任命され、後には藩校教授や大参事(のちの副知事に相当)を歴任するなど、藩政改革の中心に立って紀州藩・和歌山県経済の近代化に尽力した。その後、1871年(明治4年)には、大久保利通の要請で初代駅逓頭(えきていのかみ)(郵政大臣に相当)に就任するが、権頭(次官)であった前島密との確執もあって半年足らずで辞職する。官僚より民間で活躍するのが似合う人だったのでしょうね。

濱口梧陵は稲むらの火にあるように大津波の被害にあい経験した。そこで故郷広村に防潮堤を築いた。
津波にあったのは、35歳のとき、「稲村の火」に記述されているような老人ではない。
「稲むらの火」にとどまらない広い分野で活躍した偉大な人物であった。

下に示すのが広村の防潮堤の断面図である。
陸前高田にはこのような防潮堤が似合う。
土手の高さは成長した松の木の高さを越えることはないだろう。
 

防潮堤

東北電力、東電と賠償協議

畑作も境界                                                  畑作も立ち入り禁止を厳守
東北電力、東電と賠償協議   時事通信-2013/04/23など

東北電力が、東京電力福島第1原発事故に伴う損害賠償請求について東電と協議していることが24日分かった。事故による福島県での電力料金収入の低迷や、同県内の拠点が使用できなくなったことなどが協議の対象となっているもようだ。

事故で建設を断念した浪江・小高原発(福島県浪江町、南相馬市)の投資額185億円も含めて請求する可能性がある。電力業界内で、他社と損害賠償請求について話し合うのは異例。

政府の原子力損害賠償紛争審査会の指針に基づいて請求対象などを検討中で、「具体的な対象や請求を行う時期は未定」(同)としている。(2013/04/24-15:48)


東北電力女川原発は東日本大震災の大津波の被害を受けなかった。それどころか付近の津波被災者が原発建屋に避難した。東電、保安院、マスコミ、地震学会、などどこが言い出したか知らないが、想定外は嘘だったのである。

その顛末は本ブログにすでに書いた。 → <共同研究などの経緯 2012.9.9>  <共同研究>
電力業界内とはいえ、被災地に電力を供給する東北電力だからこそ。異例とはいえない。当然の行動だ。
だから

       堂々と賠償請求したらよい!
     むしろ賠償請求して欲しい!!
     いや、賠償請求すべきである!!!


「東日本大震災3回忌供養」 と 「クミコ コンサート」

クミコ 「INORI~祈り」                                         クミコ コンサート 祈り in 東光寺 本堂

「東日本大震災3回忌供養」と「クミコ コンサート」 in 曹洞宗 大宮山 東光寺

フルートアンサンブル ウズ                                         フルートアンサンブル ウィズ in 東光寺
4月21日 日曜日
第6回 アートフルゆめ(希望)祭り 2013 in 大宮
13の会場でおそらく200位の出し物がある。簡単にいえば、街中のあちこちを舞台に大人から子供まで参加し学芸会・音楽会をやろうという趣旨のように思われる。だから、レベルもまちまちで少しだけだが親しみやすい(*^_^*)演奏もあった。


同日、「東日本大震災3回忌供養」と「クミコ コンサート」in 曹洞宗 大宮山 東光寺 が行われた。
昨年は「東日本大震災追悼法要&アキコ・カンダの世界 こころのふるさと」が行われた。 <アキコ・カンダ>
東光寺は近代的で立派な大きな鉄筋コンクリート造りの寺である。古くは天台宗の時代もあった。

大宮支所前                                                       大宮支所前にて
第一部 「東日本大震災3回忌供養 漆黒の世界に光明」
光と読経、太鼓、鐘、のコラボレーションは、厳かな中にも、音楽として洗練され、これが声明(しょうみょう)の現代型なのかと感嘆した。まさにミサ曲、レクイエムの世界である。ビートルズにもインドを源流とするこのような世界を表現した楽曲があったことを思い出した。

万灯供養法要は東大寺や四天王寺などで盂蘭盆会法要などとして歴史的・伝統的に夜行われている。ここ東光寺では昼本堂を漆黒の世界にして行われた。大小数多くの燈明がともされ、最後に約500人の参列者全員がガラス容器の中にともされた燈明を本尊の薬師如来に供えた。これを「伝光」と言うらしい。

漆黒の本堂における光と音の厳かな鎮魂と法要の儀式であるとともに、荘厳な光と音のショータイムでもあった。

伝光万灯法要                                      東光寺本堂における東日本大震災3回忌供養

第二部 「クミコ コンサート INORI~祈り」
シャンソン歌手クミコさんは東日本大震災を石巻市の市民会館におけるコンサートの準備中に体験した。直ぐそばの山のけもの道のような所を登り避難したが下の駐車場には津波に漂う車が見えたという。これは繰り返し報道されているからご存じの方も多いだろうと思います。

畳の縁(へり)6本、3間くらい離れたまん前の特等席から楽しませてもらった。
9月の誕生日で還暦をむかえるという。

東日本大震災から2年

120910021[1]

今日は3.11から2年 鎮魂の日

東北地方太平洋沖地震:2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒
震源地:三陸沖  仙台市の東方70km  震源の深さ24km
震源域:岩手県沖~茨城県沖にかけて幅約200km×長さ約500km

マグニチュード(M):9.0  日本観測史上最大 1900年以降世界第4位の規模
最大震度:7 宮城県栗原市(2008年宮城内陸地震;栗駒山麓で山崩れ・地滑り被害域 2013.1.17参照)
地震の種類:海溝型地震、逆断層型
津波:最大波高9.3m以上 福島県相馬市   最大遡上40.1m 岩手県綾里湾

      死者(人)   行方不明(人)  死者行方不明者計
岩手県;  4,673     1,151         5,824
宮城県;  9,535     1,302        10,837
福島県;  1,606       211          1,817
その他;     67         4             71
合計 ;  15,881     2,668         18,549

現在の避難者数:315,000人

私は、南三陸町の防災庁舎前で同行者が奏でる「鎮魂のコルネット」を聴いた。
県警音楽隊長だったその男は「トランぺット」を「コルネット」に持ち替えて演奏した。
「千の風になって」にはコルネットのやさしい音色の方がふさわしいとその男は言う。

そのとき、陸前高田の少女が奏でる「鎮魂のトランペット」を思い出しながら、私は祈った。


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 辻 幸弥 (つじこうや)

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